今日は
午前中は
おしゃべりをして、
その後は
なんとなく体がダルくて
家でゴロゴロ。
夕方ふと
「今日は、父の日かあ」
と思いだし
ケーキを買いに行くことにした。
ふだんは父の日を
意識することはわたしにあまりない。
離婚した父とは
会わなくなって10数年。
今ではどこでなにを
しているかもわからないし
(母と姉は知っているようだけど
かたくなにわたしにだけは教えない)
義父は数年前に
亡くなっている。
それでも、どちらの父からも
わたしは可愛がられ、
よくしてもらった記憶しかない。
実父はわたしが小五で家を出て、
成人したのち、母と離婚をした。
母は姉とわたしを抱えて
ほとんど母子家庭のような
暮らしを何年も続けていて
父への恨み言のようなグチをよく
口にしていた。
わたしもそれを鵜呑みにするふりを
することで母との連帯が途切れないように
注意をはらっていた。
母から嫌われないために
父を一緒になって嫌いなふりをした。
結果、ちゃんと嫌いになれた。
母からの父の愚痴エピソードをせっせと
ダウンロードして
父をだらしなくて情けないひどい男と
記憶を更新していった。
でも、いまのわたしは
それが全てではない。
と知っている。
思い浮かべるのは父からの愛情の
ストーリーだ。
わたしが幼い頃の父は、
お風呂も寝るのもわたしと
一緒にしたがった。
お土産を買ってきては
はしゃぐわたしと一緒に
なって飛びはね喜んでいた。
男の子がほしかった父の
期待に応えるように
短かく刈り上げた髪で
ズボンばかり履いて
男然とふるまうわたしを
「なおすけ、なおすけ」と
嬉しそうに呼んでいた。
今は確かめようもないけど
その期待に応えようとしてること
さえも父は承知のうえで、
父の目には
幼いわたしがさぞ愛くるしく
うつっていたであろう、と
わたしのうぬぼれフィルターは
やさしい思い出にしてしまっている。
中学生になってじぶんで服を選びはじめた
わたしに
キャラクターもののトレーナーを
送ってきてしまうせつなさも、
養育費を滞っていても
わたしの高校の入学祝いに
靴を一緒に選びに行きたい
ズレた愛情表現さえも。
たとえ、
母や姉に、暴力をふるっていた
としても。お金にルーズだったと聞かされても。
2人は実際、大変だっただろうと
想像はできるけど、
それは、わたしの思い出ではないから。
はなれた場所に住んでいた
義父も結婚前に2度会ったきりだったけど
(わたしがパニック症がつらくて
そこまでの電車の移動がどうしてもできなかった)
義父は定期的にとどくよう
予約をした地元の野菜セットを
毎月送ってくれていた。
届くとたまにかける電話で
義父の聞きなれないなまりが
わたしには聞きとれないことがあったり、
シャイな義父と人見知りなわたしとで
打ち解けた会話はできてなかったと思うけど
兼業農家をしていた義父は
「ここの米は千葉よりうまいべ?」
(わたしの出身は千葉県)
とそのときばかりは
地元産の作物への愛情を
誇らしげに語っていた声を思い出す。
そして、
愛情さがしをするわたしには
ポツポツと素朴な会話を続けようと
してくれていた今は聞けない義父の声から
わたしへの想いを勝手に
思い込んでうぬぼれてしまう。
お義父さん、わたしと話したかったでしょ?
わたしの声がきけて嬉しかったよね〜
わたしに会いたかったよね〜
生きてるうちに会いに行けなくて
ごめんね。と。
所在不明な父と
いまは義母と一緒に眠っている義父と
ふたりの父からの愛情へ
感謝をこめて
お父さん、ありがとう