若い時の自意識過剰は、そのまんま、いくつになっても現れる恋の前での | WHATEVER WORKS

若い時の自意識過剰は、そのまんま、いくつになっても現れる恋の前での

自意識過剰と同じです。


だ、

そうです。


そうですか。

うーん。

恋の前で自意識過剰か?

わかんね。


伊豆の踊子他5編のうち4編を読み終えました。

1つだけどうしても出だしで躓いて「イヤ」と思ってしまって

読めないのがあるけどまぁその辺はスルーするとして。


よくわかんなかった。

踊子の話自体はキレイと思ったけど。ほかは・・・

ていうか今と感覚とか生活環境が違いすぎなのかも。

だからかも。だよね。

温故知新でも、新は新でしかありえないわけで。

新は古と相容れないわけなのです。



いやー、

実は昨日熱海に行っていました。花火大会でした。

若干雨でした。でもまぁ土砂降ってはいなかったし、

ギリセーフってとこか。にしても雨はウザかった。


Suicaが使えない・・(三島⇔熱海間)

ちょうどエリアをまたいでしまうと使えないんだそうで・・・・

(ということはトイカの範囲内でならスイカ使えるのかなぁ?)

どの道ほんとしょうもないわーばかやろうだね。

しょうもな!



三島のほうが夏祭り最終ヴィなのも相まりまして、

駅前なんかはにぎやかでした。しゃぎりがね・・

あの辺りはいーんだけど(音量的に)、

大社前とかは勘弁して欲しい騒々しさと感じますよね。

まぁ、それがしゃぎり。


チャミーはそこいらの少年が着ているデイビットや

ラウールのレプリカユニのごとく、浦和のユニを着ていったよ。

最早寝巻き代わりの17番長谷部のあれ。大昔の。

7番のT原のを着ていけばよかったかな。

まぁ買う気も起きないんだけど・・←どっと失礼


熱海の花火って夏休みだの冬休み期間中に複数日やるので

一回一回の時間は短いのですが、それでも充実してます。

なんてったって海岸沿いだし。チャミー的にはそれがポイント高し。

夜の海だけど、なんていうんだろう、砂浜を歩くだけで

足をとられようとも心が躍ります。そういう単純なやつです。


花火は、心臓というか、胸というより、胴に響く音が、

ぐっときて好きです。これが音だけだと至極不快なんだがね。

あの、かるく40秒くらいチカチカと浮いていた花火は

なんだったんだろう?ほたるみたいに浮遊していたやつ。

まるでパラシュートがついたキラキラのようでした。きれいでした。


でーもやっぱでっけえのが1番見ごたえマンテンだよね。

全部掻っ攫っていきよるばい だね。

あとは最後のネ。

花火師の方は下からどんな花火を見つめているのだろう。

すごい、気になる。真下からの花火の形とか。

暑いだろうし、命がけだし、割に合ったお給料もらってるのかしら。

気になる。


あとは将来的にスマイリーちゃんの顔がぴしっと向き揃えられる

ようにできる装置とかができたら、完璧ですよね。



高原といえば久々にBlogを更新されておったのを拝見しました。

ポストに2本・・ポストに当てる方が難しいのにポストに2本も・・・

(↑やべっちFCで確認できた限りでの発言ですが)

ソリャ悔しくないわけがないわな。

コンディションあがってきたの?(遅くね?)

タッチャンと相性がいいのかね?

16日の試合見てないからわかんないんだけど。



昨日の新聞の朝刊の大自在(朝日新聞でいう天声人語的な)に

すごいいいことが書かれていた。以下、抜粋。


 折り返しに入った北京五輪も世界中にドラマをもたらしている。「金色に見える銀」「これが自分色のメダル」と連日、勝っても負けても若々しい言葉が次から次へと伝えられ、あらためて「五輪は若者の祭典」と知らされる。

 私たちは巡り合わせが悪い、違う家に生まれてきたら良かったのになどと運不運をかこちがちであるが、夢舞台に立つ若者がそれぞれに物語を背負って活躍する姿は、どんな天才も100%の努力がなければ世にうたうことはできないことも教えてくれる。

 ~中略~努力は別にしても、個々の人生に押し寄せてくる幸不幸は過分の贈り物としてとらえて、当然のことのように思ってはならないのだろう。<人間、運だといいますけれど、必ずそうばかりもいえません。・・・それだけの、また、甲斐性がなければ(久保田万太郎)>




そうしてとらえていかないと生きてゆけないわね。

思った。思わされたね。