月曜日に【窮鼠はチーズの夢を見る】を観てきました。
観てきて、その後ずっと恭一のこと、今ケ瀬のことを考えてしまって。
すぐに感想も書けず。
観に行ってもう5日も経つのに、まだ、ふとした時に2人が頭の中に浮かんで。
どう捉えたらいいんだろう、あの時の恭一の気持ちは、あの時の今ケ瀬の気持ちは…なんて思ってます。
くらすますで大倉くんが、窮鼠どう?と問いかけてもコメントもできず、観てる時も観たあとも自分の感想がよくわからないままになってる。
不思議な感覚だわ。
流され侍の恭一はクズたと思うけど、いやでも優しすぎるだけなのか?とか、いやいや、実際にこんな男いたらしっかりしろよーと思うし、最低やなと思ってるだろうし、奥さんのあの一言に“よく言った!”と思うし。
観ていて今ケ瀬を応援したくなりましたが、冷静に考えると今ケ瀬も今ケ瀬だよ?ずっと恭一の事を好きでいるのに他の男に抱かれるでしょう。あかんやん。
と、頭のかたい私は思うけれど、映画に入り込んでしまうと、そうなる気持ちもわかって。
観てる時は今ケ瀬になっていて、切なくて苦しかったけど、後からいろいろ考えると、最後の方の恭一の気持ちになって苦しかったりして。
でもまたいろいろ考えると、奥さんや不倫相手や元カノ、会社の部下の気持ちに自分がなっちゃっていて。
映画やドラマって、自分がその登場人物になりきっていろんな感情や物事を体験したような気持ちになれると思うんだけど、
この映画はとくにいろんな登場人物になってそれぞれを考えてしまったなぁ。
※ここからはネタバレあり
大倉くんも成田凌くんも恭一と今ケ瀬になっていて、映画はいろんな描写、シーンがあって、かなり生々しいシーンもあって(視覚よりは聴覚が生々しく感じた)、
ジャニーズのアイドル関ジャニ∞の大倉くんということはどこかに飛んでいってたけど、改めて思うとよくあそこまで思いきりました。
成田凌くんがこれまた素晴らしい。
もう、今ケ瀬切ないわ。苦しいわ。
猫背であの椅子にちょこんと体操座りする姿がかわいかったしね。
切なさのあるかわいらしさね。
窓際のベッドや抱き合ってる時の雨の音も切ないよ。
今ケ瀬にとって“例外”な存在の恭一もいつの間にか今ケ瀬が“例外”になっていたんだな。
ゲイ・バー?クラブ?に今ケ瀬の姿を探しに行く恭一が苦しかったな。自分で自分の気持ちを確かめに行ったのかな、そして世界が違うと葛藤したのかな、でも頭でわかっててももう今ケ瀬が“例外“になってしまってるんだろう、その自分の気持ちに向き合うのもしんどかっただろうな。
なんていろいろ想像するわけです。
灰皿を洗ってる恭一のシーンと、あのイスに座る恭一のシーンが良かったな。
あれから2人はどうなったのかな。
連休中に娘も観に行こうかなと言ってたので、映画どう思ったかなどおしゃべりしたいと思います。