みぃーつけた?! | のんべんだらり

みぃーつけた?!

昨日、お友達が素敵なことを日記に挙げられてました。

駅のホームで白杖を持って不安げに歩いている方に声をかけ、安心して友人を待てるところまで連れて行ってあげたという話。

私は人ごととはいえ、これを読んで本当に嬉しくなりました。

だって私はこの盲人さんの気持ちがものすごくよくわかるから。

駅には人がいっぱい。点字ブロックにはなかなか出合えず、あったと思ったら人がいたり、物があったり・・・。

待ち合わせの場所がいまいち解らない。

時間だけが過ぎて行く。(相手に心配させたらどうしよう?と私は思う・・・)

・・・

そんな時に「大丈夫ですか? お手伝いしましょうか?」なんて声をかけてもらったら、その方の声は間違いなく「女神さま」か「神様」に聞こえます。

声をかけることって勇気がすごくいると思います。

でも、ほんとうに「どうしよう?」と思い切り不安になってる時に声をかけてもらえる幸せは何事にも変えられません。

大雑把に比較はできないけど、こういう時、やっぱり関西って声をかけてくれる確率が高いです。
お節介な関西のおばちゃんが多いから。(笑) 私はそれが関西のいいところだと誇りに思ってますが・・・。笑

で、私はその友人の日記に「有難う」ってコメントしました。

そしたらなんとこういう行動を起こそうというきっかけを作ったのは「私」だと言ってくださいました。

それがまたものすごく嬉しくて・・・。

私は「弱視」という存在に市民権を持たせたくて、ブログを始めました。今年の11月で10年になります。

いつしかそのブログは、さださん日記やギター日記に変わりつつあるけど、でも、最初からもっている「弱視」という存在に市民権をという気持ちは変わってません。

だから押しつけでなく、
しんどいときは助けてください とか
困っていたら声をかけてください とか
ちょっととろいのがいたらそれはひょっとしたら目が悪いかも?って思って一呼吸おいてから怒って とか

さりげなく主張してきたつもりです。

これは出来る。でも、これは難しい。だから助けて。

という書き方もたくさんしました。
だって、なんでもかんでも助けてでは絶対に人は離れて行くから。おんぶにだっこはきません。

そんな言葉がきっとこの友人の心に残り、勇気を持たせてくれたんだと思うと本当に嬉しいのです。

昨日は「あぁー、これがある意味で私の≪いのちの理由≫の一つなのかもしれないなぁー」って、初めて自分の存在価値を知ったように感じました。

もし、
「助けたあげたいけどどうしたらいいかわからない」と思っている人がいたら、

どうぞ私を使ってください。

見え方は千差万別、私がすべてではありません。
でも、こうしてほしいんやってことはなんとなくわかるはず。
そしたらひょっとしたらこの友人のように勇気が出るかもしれない。

そしたら私たちは安全に外を一人で歩けるし、世界が広がるし、幸せになります。

私をどうぞ実験台にでもなんでも使ってください。
なんでも聞いてください。

「心のある」質問にはなんでも答えます。

「こんなこと聞いたら、気を悪くするかも・・・?」なんて気持ちは無用です。そう思ってくれてることはその言葉の端々から感じられるから。。。

私は本当にいろんな人に助けてもらって今があると思ってます。

コンサートに行くとき、駅まできたら一緒にいくよとか、駅まで迎えに行くよとか優しい言葉を頂いたり、バイキングスタイルのお店で気を使ってもらったり、一緒に歩く時には段差や障害物を教えてもらったり、メニュー読んでもらったり・・・。

そんな優しさが私だけじゃなく、私と同じようなハンディーを持つ人に一人ずつでも広がって行ったらいいなぁーと思ってます。

何もできない私です。

けど、間接的にこうして「なんちゃってお返し」ができたら、そこにも私のj≪いのちの理由≫があるのかなぁーって思います。


改めて、有難う。本当に嬉しかった。