今日は高野山へ
お墓参り
最近はばをきかせている
ゆるキャラ こうやくん
あらゆるところで増殖中で
今回は新商品として
フィギュアも新発売!!って
どうよって思った
ちゃめろん・ナカシマです
こんばんは♪
ここから先は
飲食も、写真撮影もNGなので
その前に一枚
その手前、高野山奥の院の参道に
大石順教尼さんのお墓があります

右奥をよく見てみると
「腕塚」とあります
そう、彼女は堀江の6人切りの
唯一の生き残りで
養父に両腕を切り落とされて
生き残った人なのです
以下ウィキより
大石は道頓堀付近の「二葉寿し」の次女として生まれ、
幼少の頃、山村流に師事し、1899年(明治32年)、
名取となる。1901年(明治34年)、堀江のお茶屋(貸座敷)
「山梅楼」(やまうめろう)の芸妓になり「妻吉」と名乗り、
その主人である中川萬次郎の養女となる。
そこで舞を精進していたが、1905年(明治38年)、
養父の萬次郎が内縁の妻に対する邪推から楼内で刀を振るい、
6人を殺傷。世に言う「堀江六人斬り事件」である。
事件に巻き込まれた妻吉は両腕を切断されながらも、
一命をとり止めた。その後、彼女は地方(じかた、演奏する芸妓)に転向し
長唄、地歌などを披露しつつ二代目三遊亭金馬の一座などに入り
松川家妻吉の名で旅の巡業をはじめるようになった。
その間、彼女は口で字を書く技法を習得、1912年(明治45年)、
日本画家山口草平と結婚、同年に長男、1917年(大正6年)に長女をもうけた。
しかし、1927年(昭和2年)、夫と協議離婚し、身体障害者の相談を始める。
1933年(昭和8年)、妻吉は出家得度し、
名を「順教」(じゅんきょう)と改める。以来、
仏道の毎日を送る傍ら自分と同じ立場の
身体障害者の世話をする福祉活動に励み、
1947年(昭和22年)に佛光院を建立。
また、長年培われてきた口筆による書画が入選し
晩年までその道を全うした。1968年(昭和43年)、
心筋梗塞により佛光院で入滅(死去)、遺体を献体した
実は我が家の日めくりカレンダーにも
「両腕をなくされても、素晴らしい字を書き・・・」と
紹介されていたので、名前と凄惨な事件のことは
少しは知っていましたが、
なんせ生まれる前の話
「ここにお墓があるのね~」
位だったのですが
ある時ひょんなことから
大石順教尼さんが
義父が死刑になる前に、
監獄に面会に行き、義父を許し、
義父の罪が軽くなるなら何でもしますと
伝えたことを知りました
この時初めて
彼女の偉大さを知りました
時に、神様はこのような人を
この世に遣わせてくれるのですね
今回は、初めて彼女のお墓に
手を合わせてきました
今、この瞬間
ありがたいと心から
思った墓参りでした
今日の一言
いつも通る路だけど
いつもと違う出会いが
ありました
ひょっとしたら
あなたにもあるかも?よ