ブログを読んでくださったみなさまへ



今まで、温かい応援や励ましを送ってくださり、本当にありがとうございました。

にゃんもちゃめ子もとても感謝しています。

にゃんは、私達に丸1日見守られながら、一昨日の夕方旅立ちました。

5か月間に及ぶ闘病生活の中、にゃん夫の精神力や強い思いに支えられながら、その思いに答えるかのように、にゃんは健気に、必死に生き抜きました。

人間で例えたら1年半近くも延命できたといってもいいそうです。

「一分一秒でも長くにゃんは一緒に居たいはず。」「にゃんの目がもっと生きたいって言っていた。」というにゃん夫の言葉につき動かされ、一緒ににゃんとともに戦ってきた日々でした。

ここまでこれたのも、にゃんの奇跡にも近い生命力や幸運もさることながら、たくさんの温かいサポートのおかげ、とも思っています。

ちょっとビビリだけど愛嬌があって人間が大好きだったにゃんは、病院のスタッフのみなさんにもとても可愛がっていただきました。

ご近所の方は、にゃんのためにお花を届けてくださいました。

そして、そして、猫が苦手だったちゃめ子も、介護を通してにゃんと密に過ごす中で、いつのまにかにゃんの愛くるしさ、愛おしさ、純粋さ、そしてにゃんを思うにゃん夫の少年のような純真な心に触れてきたように思います。

今でもやっぱり一番は犬だけど、気づくと自分でも信じられないくらい猫に、にゃんに思いを寄せている自分がいました。

にゃんによって気づかされたこと、数えきれないくらいあります。


この間、時に迷いがもたげた瞬間も、正直ありました。いろいろな境遇の猫ちゃんたちがいる中、いくつかの選択肢があるという恵まれた環境にいるにゃんが進んでいる道が、本当ににゃんにとって幸せなのだろうか、と。

その答えのひとつが、にゃんと過ごした最後の日にあったように思えてなりません。

心の中で「にゃん、本当にありがとう。」と言って手を合わせたこと幾度も。でも、その後にゃん夫の必死のマッサージ、呼びかけに答えるかのごとく、にゃんが再び目覚めては目をぱっちりと開けて首を起こしたり足を動かしたり、、信じられないようなことが、目の前で、ほぼ1日中繰り返されました。

もう、理屈を超えていました。今起こっていることが全てなんだなぁと思えました。にゃん夫の思い、それに答えるにゃん、何が正しい、真実なんてこの世の中にはなくって、ただそこには思いの強さ、慈しみ、が存在している。

ここにいること、存在すること、それ以上でも以下でもない。そこに価値がある。

にゃんとにゃん夫の関係は、とても尊くて、そして切なく、儚いもののように感じました。


にゃん夫とちゃめ子の関係はというと、、つい最近もにゃんのことで言い合いをしてしまったばかり、しかもにゃんを前にして…情け無い限りです。結局は言葉の言い回しの問題だったのだけど、お互いに譲らなかったばかりに、、本当にまだまだ未熟な私達です。

にゃんはきっと今でも私達のことを心配していることでしょう。大切なことは何なのか、にゃんに教えてもらったことをもっともっと大事にしていかないといけないね、にゃんとのお別れをしながら、あらためて心に思いました。

にゃん、私達のことをこれからもきっと見守っていてくれるよね。


いろいろな思いが駆け巡ったけど、1日1日がかけがえのない日々だったなぁって思います。

にゃんは幸せな猫でした。

幸せを運んでくれた猫でした。


皆さま、ブログに付き合っていただき、時に声をかけてくださり、本当にありがとうございました。


皆さまの幸せを祈りつつ、、、これで、犬大好きちゃめ子の猫介護日記を終わりにします。


最後に、このブログをいつの日かにゃん夫が読む時がくるとしたら…今のつらい気持ちを乗り越えて、幸せに生きているにゃん夫でいてほしいと願っています。


2018.11.26

ちゃめ子