昨日
ウチのマンションに小学生が少なくなった
という記事を書いていて
思い出したことが・・・

 

私の実家のこと

私が生まれ育ったのは
仙台駅から徒歩10分の借家

仙台は仙台平野と言っても
やっぱり少しの凸凹はあるわけで
仙台の中心部から徐々に外へ外へと
郊外型の住宅団地が広がっていて

郊外型の団地は海側を除けば
大抵は丘陵地帯

そんな出来たばかりの郊外の団地に
家を建てて引っ越ししたのは
私が家を出た後のこと

新しくできた団地は

丘陵地帯にあるために

名前は「○○ヶ丘」とか「○○台」

まさにその「○○台」の
坂道の途中にあった新しい家から
当時高校生の弟は
自転車で毎日坂を登り降り

 

※もうちょっと道幅は狭かったけど、こんな感じの坂道

そんな坂の両側の戸建てとアパート
雪の日などは車を出すために皆で雪かき

自然と
7軒の戸建ての人たちの仲は深まり
ほとんど同年代の住人たちで
持ち回りでお茶したり
カラオケに行ったり

やがて年月が経ち
子どもたちが
就職や結婚で家を出て独立

いつの間にか夫婦二人だけの7軒に

更に年月が経ち
不思議なことに
7軒ともご主人が先に亡くなり

母は笑って言ってたっけ
(言葉は悪いのだけれども)
人呼んで「後家さん通り」

そんな中
私の母が亡くなり
やがて一人欠け二人欠け

弟夫婦は別の郊外の団地にいたので
実家を売りに出して
住人も少しずつ代替わりや
新しく引っ越してきた若い世代に

長々と書いてきたけど
「人の歴史」「町の歴史」そのものだなぁと

結婚して家を持ち子育てし
やがて老いて亡くなって・・・
その繰り返し

実家を買った方は家を取り壊して
新しい家を建てられたとのこと

他のお家もリフォームしたり建替えしたり
「だいぶ様子も変わったよ」と弟

笑って

「もう後家さん通りじゃないよ」

そうやって

営みは延々と続いていくのですね