芝大門【増上寺】 | 湯戯三昧、蕎麦三昧できるかな?

芝大門【増上寺】

昨日、先月に半月入院しておりました病院に退院後🏥後に初の再検診。検診、治療、お薬をもらって、お昼時は芝大門、地下鉄駅🚇の前にあるお蕎麦屋さん更科布屋》さん

お蕎麦を食べたあとは、コチラも久しぶりに☺️

 増上寺


東京タワー🗼との対比で見栄えは抜群。

外国の観光客にも人気のスポットです。


大殿に登る階段は25菩薩をあらわし、25の階段となっています。

参道から大殿前に至る階段は18段あります。

これは阿弥陀仏の本願の第18願。

三門から大殿までは、距離にして約48間。

コレが阿弥陀仏の48願。

大門から三門は約108間。

三門をくぐり108の煩悩から解脱します。


寛永10年(1633)年の建立ですが、現在の鐘楼堂ほ戦後に再建されたものです。

鐘楼堂に収められているこの大梵鐘は、延宝元(1673)年にあまりの大きさに7回の鋳造を経て完成し(東日本で最大級)、江戸三大名鐘の一つに数えられています。

水盤舎は、もと清揚院殿(家光公三男・綱重)の御霊屋にあったもの。

徳川家霊廟建造物として現存する数少ない遺構のひとつです。

昭和53年3月、現在地に移築されました。

【西向聖観世音菩薩】

鎌倉時代、執権・北条時頼公が観音山(*現:東京タワー)に辻堂を建て、鎌倉街道(*現:六本木方面)に向けて安置した石像の観音さま。

子育て・安産に霊験あらたかと伝えれています。

昭和50年浄土宗開宗八百年記念の境内整備事業として、現在の安国殿前に尊像を遷座、同55(1980)年1月に観音堂落成。江戸三十三観音札所で聖観音像は子育て開運の利益広大と言われています


このスポットも外国人には人気があります。

徳川家の墓所にある「鋳抜門」

旧国宝で、もと文昭院殿霊廟(六代将軍 徳川家宣公)の宝塔前『中門』であったものです。

左右の扉に5個づつの葵紋を配し、両脇には昇り龍・下り龍が鋳抜かれています(青銅製)。規模、荘厳さにおいても、日光東照宮と並び評された往時の姿を今に伝える数少ない遺構です。

徳川将軍家墓所

増上寺は東京上野の東叡山寛永寺(*天台宗)と共に徳川将軍家の菩提寺でありますね。

埋葬されているのは、二代秀忠公・六代家宣公・七代家継公・九代家重公・十二代家慶公・十四代家茂公の6人の将軍のほか、二代秀忠公夫人である『崇源院』『皇女和宮さま*十四代家茂公夫人』ら5人の正室、三代家光公側室の『桂昌院(五代綱吉公実母)』はじめ5人の側室、及び、三代家光公第三子甲府宰相綱重公ほか歴代将軍の子女多数が埋葬されています。

旧徳川将軍家霊廟は御霊屋ともよばれ、増上寺大殿の南北(左右)に立ち並んでいました。 墓所・本殿・拝殿を中心とした多くの施設からなり、その当時の最高の技術が駆使された厳粛かつ壮麗な霊廟は、いずれも戦前国宝に指定されていました。

ですが昭和20年の3月10日に北廟被災、5月25日に南廟被災と二度にわたる空襲直撃でほとんどが焼失し、わずかに残った建物もその指定を解除されました。

 焼失した御霊屋郡は、昭和33年から文化財保護委員会が中心となり学術調査が行なわれ、のち土葬であった御遺体は桐ヶ谷にて荼毘に付され、南北に配していた墓所は一か所にまとめられ現在地に改葬されました。 調査によれば埋葬は、まず地中かなり深い部分に頑丈な石室を設け御遺体を安置し、二枚の巨石をふたにして、その上に基檀と宝塔は安置されていたといわれています。










アンチェンマイハート