そんな立岩さんからの提案に対して、辻都子さんから、以下の返事があった。
「①まだまだ新棟の構想はこれからということですので、主人の思いと一致すれば是非入居させていただきます。
②今現在のあわら病院では、個室も入れず、全く自由のない→生きることのみ→息をすることのみ重視した治療です。
もう少し、人間らしく次の施設を早目にと考えています。→個室あり、お風呂も週1回の今現在~→2回、就寝時間も自由、家族の面会も今より緩和されています。今週の週末にも見学をと考えています。」
あくまでも治療がメインの病院での暮らしよりは、大阪の施設の方が生活の場に近いのかもしれない。だけれども、本人にとってはどうなのだろう。私たちの周りには、施設で暮らしている人もいるし、施設での暮らしを経験して地域生活をしている人もいる。
障害者運動の歴史からみれば、自立生活運動は、施設から出て地域で暮らすための運動でもあった。
立岩さんと私たちは、国立療養所(現:国立病院機構)から筋ジスの人たちをだす、という運動にかかわっている。
何より、施設での暮らしが地域生活とはかけ離れたもので「普通の生活」ではないことを知っているのだ。
だから、どうしても、その先に「普通の生活」があるとしても施設に転居するということがしっくりこなかった。