先日、旧友との話の中で感じたこと
AI関連という全く違う分野で活躍中の友人
私の知らない世界を教えてもらった
近年AIの進化によって
人間の仕事がなくなるという話も耳にするけど
そこにはあまり興味がない
人間にしかできないことがあると思うから
結局のところ
物質的なものや
目に見えるものだけに偏って
誰かの言う通りにしていれば安全とか
自分を失って生きている人間たちの
目を覚ますために
このAIによる脅威は一役買ってくれる氣もする
氣付く人と氣付かない人がいると思うけど
AIに感情を覚えさせるというところまで
来ているそう
本当に急速に技術は進化していて
人間に酷似した肉体にAIを搭載することが
できるようになるのも
10年以内には実現すると思う、と
AIは果てしなく闇的な使い方もできて
もはや全ての情報をコピーできる訳だから
今でも画面上で誰かになりすますことで
詐欺もできるし
人を騙す手段としては完璧に使えてしまうし
需要と供給が合えば
いくらでもお金を儲けられる手段になり得る
友人たちは
それぞれの様々な経験や志から
AIを必ず善きことに使うという信念の下で
開発を続けている
必ず人が幸せになるために使う、と
喪失による悲しみを癒すために
亡くなったご主人が毎朝TV画面に出てきて
会話ができたりすることとか
→個人的には気持ちの整理がつくまで
が良いかなと思う
次の人生へと踏み出す強さが
全ての人にあると思うし、それをするための
環境でもあると思うから
老人ホームなどでの認知症の方たちが
寂しくないように話し相手になるとか
新人さんでも安心して商談ができるよう
指導者のAIをPC内に入れて連れて行って
相談しながら交渉を進めるとか
→それは確かに平和だが
お互いの信頼関係を構築してゆくために
個を見つめ直したりしながら
精神的に成長していく機会が
減ってしまう氣がして何だか残念だなと
思ってしまう昭和人間(@_@)
これらは既に実用化していることなのだそう
先日老健に単発で仕事に入った時は
看護師ではなく本当にロボットだなと思った
一人一人の情報を取る時間もなく
ただその日必要な医療行為をするだけ
丁寧に関わる時間なんてなくて
周りに人もいなくて、身動きのできない方を
安楽な体制に整えることさえもできなくて
呼吸器のついた方が何人も
ドアの閉められた個室に入っていて
必要な観察もケアも十分にできない
ただ胸が痛く虚しかった
看護師が24時間いる、という名目はあっても
あれでは看護師の仕事はできない
面会の御家族の方々に御礼を言われることも
申し訳なく感じた
もちろん法律上看護師にしかできない業務は
やっているし
それに違和感のない人も多くいて
それはそれで好きにしたらいいと思うけど
私はそこには全く順応できなかった
保険制度なのか何なのか分からないけれど
こんな体制でしか看護師が使われないことに
怒りさえ生じた
人員配置基準を満たしていればいい訳ではない
数、という目に見えることも大事だけど
内側に持つものという目に見えないことが
どうにかもっと整わないものだろうかと思う
若い看護師たちの利用者さんへの対応も
強者と弱者にしか見えず残念すぎた
看護学生の実習指導をしていた時も
患者さんから理不尽な話をたくさん聴いた
その話を聴いて驚いていた学生たちが
心ある看護師になってくれていることを願う
きっとこれらは法律云々の問題ではなく
それぞれがどう在るかの問題で
私個人としてできるのは
目の前に来てくれた人に対応することだけ
私の思う看護師の仕事は
その人の全体像を理解して関わること
個別性に合わせて対応し信頼関係を築くこと
療養が必要な方たちの尊厳を護ること
ひとりひとりの方と真摯に向き合うこと
この仕事に持っているプライドにも氣付いた
もちろん色んな人がいるけど
看護師という仕事を選んだ人の中には
同じような志を持つ人もいると思う
ほんの少しの時間だとしても
相手の心が軽くなるような関わりはできるし
それができる環境を選ぶことはできる
志を失いかけている状態で
日々をこなす人の話も聴いてきた
それほどしんどいことはない
自分との不一致は強いストレスになる
そんな時は改めて自分を見つめ直して
きちんと自分の願いを聴いて叶えてあげる
意思と勇気が必要になると思う
と、だいぶ少し話は逸れたけど
人が成長することを望まないのであれば
むしろAIが活躍してくれた方が
幸せを感じられる人が増えるのかもしれない
でもそれだと人間の生きている意味はなくなる
ただ仕事もせずに楽に生きることは
退屈すぎるのではないかと思う
この肌の温もりや柔らかさ
全ての人が放っている波動
目には見えないたくさんの人間の持つ力は
多くのものを伝えているはずで
人間の可能性や尊さ、奥行きに目を向ければ
魂の光を持って生まれて来た人間にしか
できないことは
まだまだたくさんあると思う
自分にとってそれが何なのか
どう生きるか、どう生きたいのか
この貴重な命の時間をどう遣いたいのかを
それぞれが真剣に考えていく必要があると思う
もちろん私自身も