大和魂。

オレはこの言葉の本来の意味をある方の街頭演説をYouTubeで視聴し、心が震えたのを覚えている。

その方は、吉野敏明氏。

数年前のその当時、降って湧いたような新しい保守の政党として立ち上がった参政党の広告塔とも言うべきゴレンジャーと言われる方々の一人であった。

オレは、氏の特攻隊の若い隊員の事を熱く語る姿に感動をしたのである。

歳が近い(いや、多分同い年)というのもシンパシーを感じた一要素であったと思う。

それほど、今の政治のどうしようもない閉塞感の漂う政治家の中にあって、参政党という、新しい政党の訴える、「反グローバリズム」には、これまでに無い新鮮な主義主張を感じたのである。

オレも、それからである。

今ひとつ、歴史を学んでみよう。

明治維新という日本における最大の転換期、クーデターとも言うべき時代の転換期における境目から、現代までの近現代史と言われる時代の再考察をしてみようと本気で思ったのである。

しかし、この参政党、最近ではアンチとか言われる政治団体、それどころか、前回の参議院選挙の大旋風なるものを巻き起こしたゴレンジャーと言われる方々の、

なんとも残念なる内部崩壊を展開する体たらく…。

これには、オレも、またかよ、という非常に残念なる気持ちでいっぱいである。

あれほど、日本の大和魂を叫んでいた彼ら、グローバリズム勢力の歴史に声を上げていた彼らが、一転して、
そのゴレンジャーたる一人、参政党を立ち上げた主なる中心人物、神谷宗幣氏を叩き続ける存在になった。

神谷宗幣氏と元共同代表である松田学氏以外のゴレンジャーと言われた方々は、一転して参政党のいや、神谷宗幣氏自身を徹底攻撃しているようである。

なぜなのかな?

何が真実なのかな?

なぜ、こうも割れたのかな?

真っ二つに。

まあ、考えられることは、日本に巣食っているというか戦後支配しているであろう存在がカンケイしているのであろうね。

本気になれば、というか、そんなね…。

かつて、真実を伝えようとした政治家が、いつの間にか消えていったように…。

連中が恐れているのは、大和魂であり、日本民族の団結なのである。

日本民族こそが、彼らにおいて過去理解しにくい存在だったのであり、己等の醜い欲にまみれた血塗られた歴史に立つ者たちとしては、許されざるべく正々堂々とした公平な物を見ることの出来る民族だったのではないでしょうか…。

オレは、現在、先の大戦の本ばかりを中心に読むようにしているのだが、確信にはまだまだなのだが、

なんとなくではあるが、先人達の卓越した知識に驚き、欧米文化を超えるべく確固とした精神文化を中心に気概を持って生きてきた民族なのではないかと思うに至ってきた。

先の敗戦における戦後の徹底したグローバリズム勢力の支配下の中、過去持っていたであろう日本人としての「大和魂」。

これは潰えたのであろうか…。

今となっては、幻滅してしまった吉野敏明氏であるが、彼が過去語っていた街頭演説の中で記憶に残っている言葉がある。

「魂は引き継がれる」

ということ。

魂は消えないということ。

なぜ、オレが言えるのか。

一つの例。

かつての日本の特攻隊と言われる方々の手記を読んで、オレの心が、心底震えたのである。

これは理屈ではない、と感じた。

なにか、彼らの思いが時を超えてオレの心の中に直接訴えているんだよな、と感じたんだのである。

我ら日本人は、祖国のために、自国の防衛のために無謀とも言えるべく戦いに向かったのは事実である。

しかし、そこには、ある勢力の利益のために歪められた事実もある。

連中は、巧妙に忍び寄り、寄り添い、助言し、時には叱咤し、脅し、媚もし、という手練手管、永い歴史による彼らなりの戦術でもって懐柔する。

ま、これ以上書いても堂々巡り。

アメリカ隷属の日本、特に、その姿を戦後最悪な形ですべてをさらけ出した傀儡政治の首謀者たるキッシー。

売国政治…。

これで終わるのか、日本。

しかし、オレは、少しの望みにかけたい。

「大和魂」に…。

支離滅裂、でも、オレの本音である。