久しぶりに書きたくなった。

作家開高健について語るには、切っても切れない人物との深い関係を語った本を読み終え、感じたことを書いてみたくなった。

読み終えた本は、『佐治敬三と開高健 最強のふたり』であった。

著者は、北 康利という作家。

著者曰く、

「最初は、”佐治敬三伝“を書くつもりだった。だが、彼の繊細さや人間臭さを物語るエピソードを集めていくうち、合せ鏡のような人物が浮かび上がってきた…、それが開高健だった」

言うまでもなく、佐治敬三とは日本で始めての洋酒メーカーであり、洋酒事業を柱に国内食品メーカーとしてトップに立ったサントリーの二代目である。

そして、開高健は芥川賞作家であり、苦しみの上に上梓した「夏の闇」は海外にも高い評価を受け、海外の大作家にも劣らぬ名声を得た大作家である。

オレは、兄貴の影響で開高健の本を読み出し、大好きになった。

大学生の頃、ちょうど開高健の釣りの番組やらが放映されたりして、食い入るようにして観ていたのを思い出す。

小学館から出されていた釣りのルポである「オーパ」のシリーズも読んだ。

読んだあと、思うことは氏の語彙の素晴らしさである。

これだけ幅広く、深く、言葉の持つ力の広がりを持つ表現をする人はいない…。

氏の著書の読後は、いつもそう感じずにはいられないほどだった。

北氏は、そのことを、

「絢爛たる言葉の玉手箱を原稿用紙の上にざっと広げたような文章」

と、表現していた。

言い得て妙である。

この著書を、一言で言うならば、佐治敬三と開高健との深い関係を書いた人物伝とでも言えばいいのか…。

言うまでもなく、お二方とのことを深く研究したこともないし、知っていることもほんの一部にしか過ぎない単なる一般の一読者であるオレがこの本を読んで全ての事を語ることは出来ない。

ここでは、大好きな作家である開高健の知らなかった人物像やら家族との関係性について語られるところがあり、興味を抱いたので触れることにする。

それを語っている処が、「夏の闇」であった。

オレは、この本を今となっては記憶もアヤフヤだが、二十代の頃、暑いさなか、帰省する飛行機の中で読んだ気がする。

ヨーロッパの暑い時期での、主人公が自分の内面を深く客観的に対峙する心を語り、久しぶりに再会した女との情を交わす描写が非常に印象的な本だった、というのが素直な感想であった。

その女、は実在していた。

ロシア文学者であり、「ようこそ!ヤパンカ」という著書もある物書きの女性であった。

そして、その方とは、「事実は小説よりも奇なり」というほかはない衝撃的な結末が待っていた。

一時帰国で日本に帰っていた彼女と久しぶりに情交を重ねた次の日に、自動車事故に遭い、この世を去ったのであった。

雑誌『面白半分』の編集者をしていた細川布久子氏が出した著書『わたしの開高健』の中で、開高健の肉声として、その事件について次のように書かれていた。

「四十二、三でえらい事件に出くわして…。早くいうと、前の晩、アレをしたりコレをしたりデタラメをつくしてホテルで騒ぎまわった。その女が、翌日、交通事故で死んで…。救急病院で白い布を被って死んでいるわけ。夕べ寝た女を今日火葬場で見送るというようなことをやっちゃった。それで一切合切、もううんざりしちゃって。
で、オレのニヒルの研究がいかに薄かったか。ヴェトナムで、いろんな戦場で、兵隊が目の前で死んでいく。ナイジェリアで子供が餓死していく。そこへハゲワシがやってきてジーッと見守っている。いろんなことを見て鍛えていたつもりだったけれども、それは鍛えたことにはならなかった。結局、自分が情念をついやした女が死んだという、それだけのことでのけぞってしまう、はかないひとりの男にすぎなかった」

それが、「夏の闇」を上梓するにあたってかなりの時間がついやされた理由であったのだろう。

オレは、タマタマ、目にしたこの著書によって知られざる開高健の一面に触れることが出来たし、家族である妻との確執、溺愛していた一人娘とのやり取りなどから開高健の新たなる背景にも触れることができた。

一人の大作家の背景を知ることにより、新たに作家の魅力が増し、その背景を通して作品を今一度読みたくなった。

本との出会いとは、まさに、次なる希望への足がかりとなるものである。

これからも、本との出会いに期待したい。

昔の歌だが、最近知った。

お気に入りなんだよね。

歌との出会いもまた、然りである。