今、吉田松陰にまつわる本を読んでいる。

まだ、読み終えていないのだが、

吉田松陰が、世界の現実を知るべくペリーの黒船に密航を企てそれに失敗、幕府方に捕らえられ獄中へ。

そして、唐丸籠で下田から江戸送りの途中、高輪の泉岳寺を通り過ぎる際、赤穂浪士の赤心にふれ一首を詠んだ。

『かくすればかくなるものとしりながら
    やむにやまれぬ大和魂』

義士たる者は、大志を抱き、何者にも屈することなく不撓不屈の精神で事に当ることになる。

その信念に松蔭は感涙したとある。

目的は違えどもその心は一緒だったのだろう。

日本人は過去、どこかの民族を植民地にして奴隷にしたりという過去は一度もない。

それは、世界各国の民族の中で、唯一の存在なのだ。

だからこそ、大東亜共栄圏というアジアの国々を一つのくくりとして共存共栄の精神で提案したのであるし、当時欧米列強の植民地であったアジアの国々の人々の境遇に、日本人としてはなんとしてもこの状況は尋常では無いと思い、正義を貫き挑んだ戦いであったとも言えると思う。

でなければ、終戦後もその国の人々とともに戦うなんて発想はまず、生まれないのではないか。

そこに、日本人の連綿と受け継がれている「大和魂」があるのではないだろうか。

吉田松陰、まだ勉強不足なので人物像は言うところまでは及ばないが、

「やむにやまれぬ」といった差し迫った己の中での言い様のない危機感を持ったがための行動だが、それに対しての後悔は全く無い、それを生涯実践した方なのだろうと言う印象を、本の触りを呼んだに過ぎないのだが、印象的に感じた次第。

また、後日、書くこともあるかもしれない…。