女性では無い、家族親族友人の類でもない。
あるYou Tube番組を視聴して、己を貫いた立派な軍人であったと思ったのだ。
その前に、本日は休み、昨日は久しぶりに顧客周りを実施し、堺から滋賀の草津までを訪問。
雨が降ったり止んだりの変な天気だった。
寒さはそれほど感じられず、春へと一歩づつ向かっているのだな、と思った次第。
今日は、雨が降る中、ウォーキング。
50分の短縮コース。
雨に煙る町中を歩く。
しんみりとした情景。
傘をかけながらのウォーキングは、やはり、ツラい。
帰宅。
今日は遅めの起床だったので、昼は遅めだ。
むろん、飲む。
今日は寒いので、キムチ鍋。
ビールをはじめに酎ハイ、日本酒へと。
いい気分になったところでブログを書く。
今日は、軍人さんの話し。
最近、やたら先の大戦の話ばかりになっているので、エーカゲンにしろや!と思っている方もいらっしゃるかな?
(いや、読者様もそんなにいないし、勝手な事を書いてるだけですのでね…)
でも、この方の事は書いておきたいと思ったのだ。
先のブログでも登場したのだが、石原莞爾元陸軍中将。
この方のイメージとして個人的に抱いていたのは、とにかく、政府の中枢に反して勝手な行動を振る舞った身勝手な人間であり、日本を最悪な戦争へと導いた人間というものであった。
しかし、色々と歴史の本を読んでいるとそうでもない、確かに我が強く協調性に欠けていた事は否めない。
でも、それにも勝る『戦争の天才』と言われる如く、『戦は数ではない、作戦』と豪語するほどの頭の切れる方だったのだ。
蒋介石軍との第一次戦争と言われる戦でも日本軍一万対蒋介石軍二十五万(一説には四十万とも…)に対し撃破ですよ。
(ホンマ?と思うくらい、それが世界に知れ渡っておるのだ)
東條英機首相との確執もあり、東京裁判では東條英機首相を断罪するための証人として、連合国側から最適な人物として迎えられた方でもあった。
その人となりの行動を示すエピソードが数々。
以下。
国連から証人としての出廷の要望に対し、
俺は病人、話が聞きたいのであれば、東北まで来いと返答。
異例の事だが、わざわざ東北に出張裁判したのだという。
①戦犯ではなく、あくまでも戦勝国側が東條英機首相の悪事を披露すべく証人として出廷を依頼したのだが、
「なぜ、俺を裁かん!俺が満州国を作り、そのための工作を実践したのだ」と言及し、「あなた方の言う日本の侵略戦争に対していつまで罪を遡るのだ」と逆に質問。
対し裁判長の返答。
「日清、日露まで…」
それに対しての石原の追求が凄い!
「それならば、ペリーを連れてこい!それまで、日本は鎖国していたのですぞ!」
この言葉、普通の人間には言えない。
しかも、裁かれるという弱い立場。
それでもこの言葉が言える石原の胆力。
この言葉には、裁判長を含め裁判官も何も言えなかったという。
(己等の悪事を図星ツカれたから…)
そして、最後の裁判長の質問。
「最も罪深い戦争犯罪者は?」
との問に、
「アメリカの大統領トルーマンだ!」
ときっぱり!
理由は、なんの罪もない日本の一般国民、20万数人を虐殺、これは紛れもない国際法違反であると言ってのけたのである。
色々と問題のあった方かも知れないが、責任を取る発言をし、事実を語っている。
正々堂々とした、骨のある男であり人間である。
責任を取る、今の政府及び官僚、地方自治体にそのような人がどれだけいるだろうか。
この方も間違いなく、日本人としての誇りを持った方であったと思うので書かせて頂いた次第。
視聴して頂けましたら分かるかと思います。
https://youtu.be/Do-IIkm9IJw