ある政党が、参政党を露骨に誹謗中傷、妨害している。
ついに、街頭演説は当面中止するとの事。
魂の演説で一般国民に訴えてきた参政党にとっては、苦渋の決断だったのではないか。
参政党唯一の国会議員であり、党の副代表でもあり、事務局長でもある神谷宗幣氏の判断によるものだという。
この判断には、個人的に賛成する。
あのような、もう、なんていうんですか、ゴロツキみたいな、およそ、国政政党とも言えるべき態をなしてない連中がウロウロする中で、まともな演説などできるはずがない。
しかも、あのような低次元な国事とは関係のない三流雑誌の芸能ネタのような事など、どうでもいいと思う。
愛人おってもええがな、恋人おってもええがな、3人、4人おろうがええがな。
オレにはそんな甲斐性は無いのだが、ヤれる人はやったらええがな、という考え。
みんな幸せやったらええやん!
それができるんやったらやったらヨロシだ。
そんなことよりも、国難が大事。
そのことについて議論するんやったら分かる。
でも、そんなん違うでしょ。
だから、相手にする時間がもったいない。
そんなんにいちいち構ってられへん。時間の無駄。
そういうことなのだと思う。
個人的に、参政党に興味を持ったのは、神谷宗幣氏の演説が最初でしたが、心の琴線に触れたのは、
ヨシりん(敢えてそう呼ばせてもらいます)の、大和魂であり、大和撫子でありました。
和を以て貴しとなす、聖徳太子の言葉でありました。
日本人は古来、争いを好むような人種ではありませんでした。
先の大戦にしろ、やむを得ず、やむなく、日本人の糧を守るために参戦した戦争であったということは、このブログでもお伝えしてきました。
全てが、正しかったとは言いませんが、結果として先の大戦によって、多くのアジアの国々が、欧米列強の植民地支配から、数百年続いた支配から、独立することができたのであります。
このことは、欧米人から虐げられ、搾取されていたアジアの諸国の方々にとっては、正に自由への開放であり、国家の尊厳であり、人間として当たり前の人権を取り戻した画期的な希望の事実なのではなかったでしょうか。
そのために、日本は多大なる犠牲を払った。
そして、現在も払い続けている。
いつまで続くのか、それは、日本国民一人一人が目覚めるまで。
吉野氏は訴えます。
諦めたら駄目なんだと。
諦めたら終わるんだと。
諦めずに、訴え続けるんだと。
その向こうに、新しい希望が絶対にあるんだと。
この言葉。
どこから、そのような気持ちが出てくるのか、不思議でならない。
彼ほどの方ならば、普通に生きていれば、しんどい思いもすることないし、病院も乗っ取られることも無かっただろうし、楽に生きていける道は開かれていたはず。
ナゼに、このようなキツい事をするのか。
なぜならば、日本人だから。
大和魂があるから。
ご先祖様から頂いた有り難い大和魂があるから、なのだろう。
(氏に言わせれば…)
でなければ、こんなことしない。
先人が命をかけて守ろうとした日本、その大和魂を受け継いで、そして、また、次の世代へとより良き状態で受け継いでほしい、その一心でやっているのだろう。
そのような気がいたします。
参政党のすべてが良いのではないでしょうが、今、日本の政治状況において考えるに、国政政党では参政党のみがグローバル勢力における日本の弊害を訴えております。
だから、物凄い妨害が入る。
(逆に言えば、それだけ恐れられているということ)
諦めずに、日本人に流れている伝統の意思、そこに火を着けることが出来るかどうか、にかかっている。
アメリカユダヤと中共は所詮は繋がっているような気がしてなりません。
その状況が、日本における中国からの移民。
政府はアメリカユダヤの了承無くしては、そんな政策は絶対取れない。
(表では、反対する素振りをしているが、あの天安門事件の時でも日本だけが手を差し伸べたなんていうのは茶番で、裏では米の指示があったんだろう)
全て、彼らの手の内。
日本解体、奴隷化。
それが、先の大戦における彼らの報復。
それほどまでに、日本軍は彼らを恐れさせた、という裏返しでもある…。
我々日本人はどこに向かうのか、どう判断するのか、どうなりたいのか。
残された時間は無い。
それを、認識しなければならないとおもう。
https://youtu.be/IgNucKtYXdU