過去、私の仕事(営業)に関しての師であり、仕事から離れては、アホな事を言うたり飲みに行ったり、仕事のグチを言うたり、仕事のことを真剣に話しあったりと、実に濃い時間を過ごした上司であった。
(そこまで本音でぶつかり合った上司は過去いない…)
人事移動により、オレがその上司のいる子会社への出向を命じられて最初の数カ月間は、意見の相違があり意思の疎通が正常になされなくて、ギクシャクしていた。
ナニがキッカケになったのか、今では思い出せないのだが、ある時期を境にしてものすごく一体感が出てきた。
それ以来、いい関係が出来た。
本社から、命じられた商品の売上の競争もトップになった。
それこそ、本社から外れた者同士としての意地があった。
がむしゃらだった。
すべてが、本社に対しての反骨精神から起きるエネルギーだったと思う。
その功績があったのかどうか知らないが、オレは本社に戻された。
その時は、もう、オレの心は本社には無かったのだが。
それでも、その上司とのいい関係は続いた。
ことあるごとにオレとの連絡を取ってくれていた。
あるときは、
「おい、○○、チョッと家に来いや、飲もう!オレ、あかんねん!」
なんていう相談も受けたりして、昼から元上司の家に行き、飲んだりしていた事も多々。
(ホンマは、アカンねんけどね…)
その当時、上司はある大手の流通業界から来た取締役に目の敵にされていたのだ。
彼らの表面的な美しい営業スタイルに対して、その真逆をイク彼の営業スタイルにに対して徹底的に糾弾していた。
(業績はイイにも関わらず)
でも、時代は取締役らの流れだった。
それに対して、上司は抗った。
上司は、ツラい立場になった。
力の無いオレは真っ向から上司を弁護出来るでもなく、ただひたすら、上司のやるせない言い分を聞くしか無かった。
その矢先に、脳梗塞になってしまったのだ。
新年早々の話だった。
今でも、その衝撃を覚えている。
それから幾年月、上司も亡くなって2年。
去年も線香を上げに行かねば、と思いつつ、仕事に追われ断念。
今年も命日がやってきた。
何故か、今年は、いつになく行かねば、という思いが働いていたのか。
絶対行かねば、との思いだった。
底無し上司と果たしました。
なんか、心のどこかでホッとする自分がいました。
活力ありし日の上司の遺影を拝む。
あの日が蘇る。
おい、○○〜チョッと飲もか。
語りかけているような気がする。
オレは、この先ズッとことあるごとに、上司とのやり取りを思い出すだろう。
ヘタれたとき、
上司が、
「ゲンクソやぞ!」
(大阪の泉州方面での言葉、負けてたまるか!みたいな意味)
語りかけているような気がしてならない。
その言葉を肝に命じて生きて行こうと思う次第。
ベッド・ミドラーのイデオロギーは支持しないが、歌はいい。
なぜか知らないが、この歌が今日はイイな、なんて思いました。
その辺の事がイタいくらいに分かっていたので、偉そうなのだが、寄り添うようにしていたのだ。
いや、実際、オレがその上司から受けた恩義は計り知れないものがあったし、営業の楽しさを知ったのも彼のおかけでもある。
その、時々でのアドバイスは今でも思い出す。
一所懸命な人だったんだよな。
その営業という職務に対して。
それが、オレに火をつけた。
そんな気がする。