副題は「認知症とルーズベルト」という本を読んだ。

ドイツ人ハーン教授が世界初の核分裂現象を実証してから、アメリカ大統領ルーズベルトが原爆開発を指示してからの推移、その間ルーズベルトほか連合国首脳がどう動いたのかを描いた内容のものであった。

どちらかといえば、副題に興味をそそられて借りた本であった。

ルーズベルト大統領は第二次世界大戦末期に急死したのであった。

死因は脳内大量出血であった。

実はルーズベルトはある時期から高血圧性心臓疾患、脳内障害を患っており、養生が必要だったのだ。

しかし、ポリオに罹った自分が半身不随になったのは、医者の拙さにあると思いこんでいたルーズベルトは、したり顔で忠告する医者を目の敵にしており、

耳の痛い指摘をする医者を徹底的に嫌っていたので、イエスマンの医者を採用したのだ。

それが結果的には命を縮めるという結果をもたらし、共産主義ソ連の仲間を増やし、日本にとっては原爆投下の瀕死の状態にさらされ、挙句の果てにはソ連参戦、ロシア抑留という悲惨な密約まで結んでいた。

ヤルタ会談の頃には、かなり病状は進み、頓珍漢な問答をしていたというのだから、こんな正常な判断ができないような人間を大統領にしていたアメリカという国の出鱈目さ、もいかがなものか、と思う。

この会談の中で興味を引いたルーズベルト、スターリンの発言を紹介してみたい。

まずは、ルーズベルト。

ルーズベルトがソ連外相モロトフのホワイトハウス訪問を受けて、この外相を褒めちぎった事に、イギリスのチャーチルが激しくルーズベルトを叱咤、その後、側近に語った言葉である。

「スターリンは全面的に信用できる人間だ。もしも私が与えることのできるすべてを、なにひとつ見返りを要求することなくスターリンに渡してやれば、あの男はどこも併合しようとしないだろう。スターリンは私と手をたずさえて民主主義と平和のために働くと私は確信している。高貴な人間は高貴な振る舞いをしなければならないのだから」

驚いたことに、まだ、スターリンに会ってもいない時に語った言葉だということだ。

どうも、ルーズベルトはソ連の独裁者に自分が好かれていると思い込み、ついにはこの独裁者の好意を得るため、かなりのものを与える気になっていたらしいのである。

まんまと、スターリンの放ったスパイの連中の術中にハマったとしか言いようがない。

次に、スターリンの中国に対する意識を表した言葉である。

中国との貿易で財を成したユダヤの一族デラノ家の母親の影響で、異常なほどの中国愛をもち、日本に対しては嫌悪感を抱いていたルーズベルトだが、戦後の統治の件で、米英中ソで共同管理をするという提案をしたことに対して、スターリンは苛立った様子でパイプを吸い込みこう語ったのだ。

「どれほど中国に資金を投じようとそれが効率よく対日戦に生かされることはない。どこか訳のわからないところに行ってしまう。まず盗みをやめさせること。そして、中国人の戦闘能力を頭から否定し、かつ、指揮官の能力は将軍から下士官至るまで論外と一蹴、戦争が終わった時、中国がそれほど強大になってるとは思えないし、また、仮にいつの日が強大になったとしても、ヨーロッパ諸国は中国を権威ある国と観ることに不快感を覚え、大統領が望むような畏敬の念を中国に抱くとは、とても思えない」

この言葉は同じ共産主義国家ではあるものの心の底から同盟国として信頼している言葉では全くない。

悪の限りを尽くした独裁主義者のスターリンではあるが、中国の、中国人の本質を捉えた見事な洞察ではなかろうか、と思った次第。

国益を考えた首領同士の真剣な国の威信をかけたやり取りの緊張感あふれる場面は中々に読みどころのある内容の本であったと思う。

そして、もう一つ面白い内容があった。

敗戦濃厚になった日本軍だが、軍事物資もままならぬ状況の中、密かに研究していた「風船爆弾」というものを1万発も作成して、実際にアメリカ本土に飛来させ、アメリカの原子力爆弾製造工場にも届き、一時的だが、メルトダウンの悪夢を引き起こしたという風船爆弾。

水素が注入される気球部分に楮が原料の和紙をこんにゃく糊で貼り付けた風船玉に高度維持装置と15キログラムの爆弾一発と及び5キログラム焼夷弾二発をぶら下げた素朴な伝統工芸品もどきの兵器だったので、アメリカの原子爆弾などと比べるもなく、いじましささえ感じられるようなものであった。

それを、ジェット気流という日本の上空8000mから12000mの亜成層圏で、真西に吹く時速260キロmの驚異的な風にのせて、アメリカ本土を爆撃するというなんだか冗談のような兵器なのである。

金属をほぼ使用していないので、レーダーも捉える事は出来ず、当時のアメリカ軍の陸軍長官らは、この気球に生物兵器のような毒物を載せられていたら、なんていう議論もされたりしたようで一時期騒然となったらしい。

実際、原子爆弾製造工場の送電線に気球が引っ掛かり、停電騒ぎを起こしたというのも、奇妙な風船爆弾に対して警戒させた事件でもあったのだろう。

しかし、金も資源もない日本軍が諦めずに出来得る限りの知恵と能力を最大限に結集して作り上げた事に敬意を表する次第。



チャウし!(笑)