秋は夕暮れ。
夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛びいそぐさへあはれなり。
まいて雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるはいとをかし。 日入りはてて、風の音、虫の音など、はたいふべきにあらず。
時は変われども、或いは建物などの風景は変われども、季節の移ろいにおける自然の摂理は変わらない。
夕日の赤色に染まった雲の隙間を黒い烏が巣へと急ぎ飛んでいく様。
雁などの群れが山の向こうへと小さく見えていく様。
日が落ちてからは、風の優しい音や虫の鳴き声などが聴こえたりするのは非常に心地の良いものである。
私などが今更言うことではないのだが、1200年前も昔の女流作家の非凡なる情景描写は見事と言うしかない。
目の前にスッとその情景が現れてくる。
文体の醸し出すイメージもいい。
歳を経るに従って昔の文体の持つ柔らかなイメージがいいなぁなんて思うようになってきた。
平安時代中期の女流作家、歌人の作品をふと思い出し、作者の心情に寄り添おうと試みる私なのだ。
翻って現代、このような切ない季節になると聴きたくなる曲がある。
クラプトンの『holy Mother』。
心の底に澱む哀しい魂の慟哭をギターの音色が切なく心に響く。
秋の夜長に、バーボンのグラスを傾けながら、聴きたくなる曲である。
https://youtu.be/h5YEKO04RDI