~その4の続きです。~
※このノートはパンダ先生の許可を頂いて掲載しています。
Eさん:
先ほど、エゴがない状態で、間違って人を傷つけてしまった場合、体としてはパーパ・カルマを受ける事がある、とお伺いしました。
ですが、例えば先ほどの話の中の、癌にかかった偉大な聖者の場合は、エゴで楽しんだ行為はしていませんから、エゴなしに何か人を傷つけてしまうような行為をしてしまって、その結果、癌などになったという可能性はあるのでしょうか?
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パンダ先生:
癌になったという事は前の人生からもたらされたプラーラブダ・カルマであると考えられます。
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Eさん:
時に、エゴなしでも人を傷つけてしまう事があります。
それは、体としてはパーパ・カルマを受ける事がある、という事ですが、前の人生から持ってきているカルマとは、私達自身が選んで、持って来たものです。
その時に、人を傷つけた記憶がなく、やった記憶がないカルマなのに、私達は死んだ時に、「これは次の人生に持っていくためのカルマである」と、それを見てわかるのでしょうか?
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パンダ先生:
「私」と、「私の体」は別物です。最初はそれを理解して欲しいです。
今生で得たこの体は、プラーラブダ・カルマ、つまり前の人生のカルマの結果です。
例えばジャダバラタは、前の人生では鹿でした。それは、彼が鹿になるとわかって鹿になったわけではなく、ただ、森の中で苦行中に、たまたまかわいそうな鹿を助け、愛してしまい、それが執着となって、死ぬ瞬間まで思い続けたので、次の人生で鹿になってしまったのです。
彼は自分が鹿になるとは知らずに、鹿になってしまいました。
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ですから私達も、知らずに癌になったり、知らずに他の病気になったり、知らずにいろいろな問題を抱えたりと、このようになってしまうのです。
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Eさん:
という事は、もし癌になったとすると、私達が選んで癌のカルマを持って来たわけではなく、知らないで持って来たという事でしょうか?
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パンダ先生:
知らないで持って来たのです。
例えば今Kさんが眼鏡をかけています。
これは、知っていて眼鏡をかけるカルマ(行為)を持って来たわけではありません。
知らないで、前の人生で何らかの行為をした結果、今の人生において「眼鏡をかける」というカルマが組み込まれてしまっているのです。
ですから、知っていて眼鏡をかけているのではなく、知らないで、「眼鏡をかける」というカルマを受け取っているというわけです。
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Eさん:
という事は、私達がこの人生で持ってきているカルマは、知らないで持ってきているカルマがあるという事でしょうか?
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パンダ先生:
ほとんど知らないものでしょう。
知っていて持ってきているカルマは少ないでしょう。99%は知らずに持ってきているカルマだけです。
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Eさん:
もちろん、今の状態では覚えていないし、自分が選んだという事は把握できないのですけど、生まれる前には、自分達が全て選ぶのではないでしょうか。
体はこのような体で、この人の家に生まれて、この国に生まれて、という事は私達自身が選ぶ事ではないのでしょうか?
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パンダ先生:
選ぶのですけど、それは知っていて選ぶのではなくて、知らないで選ぶのですよ。そこが重要な点です。
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Eさん:
知らないで選ぶのですか?
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パンダ先生:
そうです。知っていて選ぶのであれば、それは悟った人であるからです。
クリシュナ神は、聖典の中でも最も有名なバガヴァッド・ギーターの四章で、
「私は何回も生まれました。そしてあなたも何回も生まれました。」
と、聞き手であるアルジュナに語りかけています。
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Eさん:
アルジュナは自分が何回も生まれていることを知らなかったのですよね。
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パンダ先生:
そこが重要です。
バガヴァッド・ギーター四章五節にはこうあります。
「私は幾度もの生を超えてきた。そしてアルジュナ、あなたもそうだ。
私はそれらを全て知っているが、あなたは知らない。」
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クリシュナが生まれるという事は、全てを知りながら生まれているのです。しかしアルジュナは、そして私達は知らないで生まれて来ています。
したがって、仏陀やラーマ、クリシュナなど神の化身(アヴァターラ)の場合、全てを知っていて生まれているのです。
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Eさん:
では、例えば、私が私の父の所へ生まれたのは、そこに生まれるとは知らずに生まれて来ているという事でしょうか?
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パンダ先生:
はい、知らずに生まれているという事です。
一方でジャダバラタは、彼自身が生まれる時、最初から全てを理解していました。
「私はこのように生まれます」と。
「そして、生まれた後にはこうなります。私の事を妹が好きになります。また、お兄さんが私の事を嫌いになります。皆はこうなります。」
と、このように、彼は全てわかった上で、劇を演じていたのです。
それはリーラーになります。
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このように全てを知り、自分を知った上で生きる事、それをリーラーと言います。しかし、それを知らないで生きる場合、人生は深刻なものになります。
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「私は大変です。人生は大変ですよ。」と人々はよく言います。
しかし「大変である」という事は、知らないで生きているからです。知っていて生きるのならば、それは深刻なものとはならず、リーラーとなります。