では、ギーターの主題についてお話しましょう。
ギーターの主題は、いくつあるでしょうか?
全ての章の最後には必ず述べられている2つの言葉があります。


したがって、ギーターには大きな2つの主題があります。

一つはブランマヴィッディア、

二つ目はヨーガシャストラです。


最初は難しいと感じるかもしれませんが、あまり心配しないでください。
私達は何度も繰り返して行くことになります。
ある時、きっと理解することができるでしょう。
学ぼうとする意志が大切です。
その意志があれば、いつかわかる時がくるでしょう。


ここでの2つのトピックは
ヨーガシャストラとは、人生全てのことを表します。
良い人生を送ることです。
人生の全てをカルマヨーガに沿って生きることです。
それはまた、ヤジニャの人生とも言います。ヤジニャについて語った事を覚えていますか?
ヤジニャとはなんでしょうか?


Pさんのご意見「私達のエネルギー、時間、そして・・」


そうですね、それと富です。

まとめると、時間とエネルギーと富、全てをうまく役立てる事をヤジニャといいます。
私達が時間とエネルギーと富を正しく使う事ができれば、ヤジニャの人生を送ることができます。
あなた方はご自分の人生の満足していますか?
あなた方がご自分の人生のに満足しているのであれば、ヤジニャの人生を送っている事でしょう。
もしご自分の人生に満足していないのであれば、ヤジニャの人生を送っていないという事になります。


もし今日死ぬとしたら、幸せに死ぬ事ができますか?
今日あなたは幸せに死ぬ事ができますか?



今日幸せに死ねないというのは、つまりヤジニャの人生を送っていないからという事になります。
死は私達に時間を与えてくれません。
私達が生まれた瞬間から、死は私達と一緒に歩いています。
いつでも私達を捕まえようとしています。
1分たりとも余分な時間を与えてはくれないでしょう。
皆さんは「まだまだ自分は若い」と思っているかもしれません。
しかし、死にとって、若いとか、年をとっているといったことは関係ありません。
死は誰でも捕まえる事ができます。
私達はいつどの瞬間にも死ぬという事を覚えておいてください。
もし、今日死ぬ事になっているとして、あなた達はその心の準備ができているでしょうか?
自分の人生に後悔はないでしょうか。
もし後悔がないという事であれば、あなたの人生は成功であったと言えます。
しかし、「あれもやりたかった、これもやりたかった」と思うようであれば、
それはまだヤジニャな人生ではありません。


それが「ヨーガシャストラ」という事です。


そして2番目のブランマヴィッティアですが、
この人生をよく過ごして、この人生で悟りを得るというものです。
悟りというものは死後にくるものではありません。
悟りというものはあなたがこの体に生きている間に得るものです。


インドでも人々は、悟りというものは、死後に訪れるものだと考えています。
悟りというものはここで、この瞬間に得るものです。
またこの体において得るものです。
この体において、この人生において悟りを得ることをブランマヴィッティアといいます。


私達はこの体を去る時に、すべてのものを捨て、置いていきます。
私は次の人生になにも持って行こうと思わない、どんな欲望すらも持っていかない、と思います。
それが「ブランマヴィッティア」です。
「ブラフマンの知識」という意味です。


では、これに関しては18章で、また深く勉強していきます。


ギーターとは、質問して、それに答えるという形で書かれています。
アルジュナが弟子でクリシュナが師です。
ギーター全章というのは、要するに問答形式となっています。
インドの全ての聖典は、この質問と答えという形で書かれてあります。
ラーマーヤナもそうですし、バーガヴァタもそうですし、マハーバーラタもそうです。
アシュタヴァクラ・ギーターという素晴らしい本のことを知っている人がいらっしゃいますか?
時間がある時にぜひ、マハーバーラタの一部分に入っていますので、
読んでみてください。


私達はこの人生でいろいろな事を望んでいます。
そしてこの欲望がまた、私達の人生に問題を起こします。
もし、この本を勉強したいという欲望があれば、その欲望は持っていてください。
BMWの車を持ちたいという欲望ではなく、このアシュタヴァクラ・ギーターという本を
勉強したいという欲望を持ってください。
勉強したいとか、悟りを得たいとか、このような欲求を持つようになって欲しいです。
ギーターというのは、この質問と答えという形で書かれています。


Cさんの質問「アシュタヴァクラというのは、誰か王様の先生でしたよね。」


そうです、王様の名前はジャナカ王です。


Cさんの質問「それで、体の内の8つの部分が曲がっている人のことですよね。」


そうですね。


Cさんの質問「アシュタヴァクラの話は聞いたことがありますが、アシュタヴァクラ・ギーターは
それほど素晴らしいものなのでしょうか」


そうですね。
アシュタヴァクラ・ギーターはとても素晴らしい本です。
アシュタヴァクラとは、12歳の人です。
その彼の弟子であるジャナカ王は70歳です。



ジャナカ王というのは、シータのお父さんです。
ですから、ラーマの義理のお父さんです。
ジャナカ王が70歳の時に彼の先生であるアシュタヴァクラは12歳でした。
その12歳の彼がジャナカ王に真実を教えました。
ジャナカ王が見た夢について、一度語った事がありますが、覚えていますか?


Cさんの意見「王様が物ごいになった夢を見て、それが非常に悲しい夢であったため、
枕が涙でいっぱい濡れるほど苦しんだことがありました。そして、王は先生に対して、
「昨晩、夢の中で乞食であった私の方が夢なのか、あるいは今、王様である私の方が夢なのか、
どちらが夢なのでしょう?」と質問しました。
すると先生は、「それはどちらも夢である」と答えました。」


そうですね。
ジャナカ王は毎晩夢を見る、と言いました。
その夢の中で彼は物ごいであったと言いました。
そして夢から覚めると自分は国王であることを知ります。
昼間は私は国王だけれども、夜、夢の中では私は物乞いになっています。
「私は本当は国王なのだろうか、それとも物ごいなのだろうか?」と質問しました。
普通の人達は皆、「あなたは物乞いではないですよ、国王ですよ」と言いました。
「私達はあなたが国王であることを知っていますよ」と言いました。


しかしジャナカ王は
「私はたしかに国王だけれども、その夢の中では確かに物乞いになっているのです。」
と言いました。
「だから私は本当は国王なのか、それとも物乞いなのか、全くわからなくなった。」と言いました。


この時、12歳のアシュタヴァクラは彼に言いました。


「あなたは国王でも物乞いでもないですよ。」
と言いました。


「あなたは国王、もしくは物乞いを超えた3番目の存在です。」
と言いました。


そこでジャナカ王は「では私は誰なのですか?」と聞きました。


アシュタヴァクラはこう答えました。
「あなたは国王もしくは物乞いの目撃者、観察者であります。」
と。


あなたは物乞いでもあった、そして国王でもあった。
国王は物乞いを見る事はできないし、物乞いも国王を見ることはできません。


けれどもあなたは物乞いも国王も同時に見る事ができました。


それこそ、アシュタヴァクラの一番高度な知識です。
時間があればどうか、人生で一度は読んでみてください。
それもまた、問いと答えという形式になっています。


Kさんの質問「アシュタヴァクラ・ギーターはラーマヤーナの中には入っているのでしょうか?」


アシュタヴァクラの名前はいろいろな経典の中にみられますが、
マハーバーラタの中に入っています。
これはマハーバーラタの中の「ヴァナ・パルヴァン」という巻の中に入っています。


質問すれば、あなたの問題は解決されます。
そうすればあなたのマインドも明瞭になるでしょう。
では、どのように質問すべきかというのは第4章で学びます。

第4章の34節に質問について、とてもよいことが書いてあります。


バガヴァッド・ギーター、ヴェーダ、そしてジョーティシャ-4-34

正しい質問を正しい時に、正しい内容で聞く、ということです。
これはとても重要です。


誰かが電車に乗り遅れそうになって、急いで走っているところで、
「ブラフマンの事を教えてください。」と質問したとしたら、どうでしょう?


それは正しい「時」ではありません。
その質問する時と、質問、内容が正しいものであるということが大切です。


この質問についてですが、質問しない人の中には2つのタイプが存在します。
まず、全てを知っている人は質問をしません。
そして、何も知らない人もまた、質問をしません。


全てを知っている人の事は「マハーギヤーニ」といいます。
「マハー」とは、接頭辞で、「偉大な」という意味です。
何も知らない人のことは「マハームルカ」と言います。
この2つのタイプの人が何も質問しないタイプの人です。


ギーターとは、アルジュナに対して説かれたものです。
アルジュナには二人の兄弟がいました。
アルジュナのお母さんの名前を知っていますか?


「クンティーです。」


そうですね。そのクンティーには3人の息子がいました。
第一番目はユディスティラ、2番目はビーマ、3番目がアルジュナです。
なぜクリシュナは、3番目のアルジュナにギーターを教えたのでしょうか?


彼は1番目のユディスティラには教えませんでした。
2番目のビーマにも教えませんでした。


なぜなら一番目のユディスティラはマハーギヤーニ、全てを知っている人だったからです。
ユディスティラは、もう何人もの素晴らしい先生について、すでに勉強していました。
ですからもう、質問する必要がなかったのです。
だからもう、勉強する必要がありませんでした。


2番目のビーマですが、彼は全く勉強する気持ちがありませんでした。



彼の目的は百人の王子達を殺すことだけでした。
勉強に対する興味は全くありませんでした。
勉強がそこで行われる時には、彼は逃げ出してしまうようなタイプでした。


ビーマはユディスティラに「なぜ私達はジャングルに来なければならなかったのだ」と責めました。
ユディスティラは大変知識に興味があった人です。
彼が王国を捨てたのは知識を求めるためでした。
彼は決して愚か者ではないのです。
彼が王国を去ったのは、勉強するためであり、森の中にいる偉大な師について、
勉強するためであったのです。


ラーマーヤナのラーマも、王国や他のすべてのものを捨てて、森の中に入って

偉大な師達と一緒になって勉強しました。
ラーマーヤナの一番良いところは、アーラニヤカ・カーンダという巻です。
これは森にいたときの事が綴られています。


マハーバーラタの中でも一番良いところは、やはり、パーンダヴァ達が森にいた時の事です。
しかし、ビーマは森の中にいるのが大嫌いでした。
兄弟の事を愛していたので、一緒に行きましたけれども・・。

ですからこのバガヴァッド・ギーターは、ユディスティラでもなく、
ビーマでもなく、アルジュナに説かれたのでした。