いつもお伝えしていますが、知識は永遠です。
私達もまた永遠です。
アートマは永遠です。
私達は永遠の人生を永遠の知識の為に使う事ができるでしょうか。
先日、ある人にこう聞かれました。
「ギーターの勉強を始めるという事ですが、どのくらいその勉強にはかかるのですか?」
と。
私は、「はじめます」とだけ言いました。
「それがいつ終わるのかはわからない」と言いました。
なぜなら知識は永遠だからです。
ですから、私はこの本を終えるという保証はできません。
私が生きている間に終えられたら良いと思っています。
そしてあなた方もそこにいれば良いと思っています。
そうであれば終える事はできるかもしれません。
もしこの人生で終えられなくても、次の人生で終えられるかもしれません。
その準備はできていますか?
時間がある時には、このクラスに参加してみてください。


ここに来たときにはなにかの知識を得てください。
例え一言だけ覚えたにしても、その事によって幸せになってください。
ここに来て全て覚える事ができなかった、とか、たくさん覚えられなかった、という風に嘆かないようにしてください。


ここには、いろいろな種類の生徒さんがいます。
10年勉強していらっしゃる方もいるでしょう。
今日だけここに来た、という人もいるでしょう。
私達はその全ての人に語っています。


これだけは覚えておいてください。
例えそれが一言であっても、それを理解できればそれで充分です。
1日に一つだけ言葉を覚えたにしても、それが365日繰り返せば、365語覚える事ができます。
それが私達が、今日にあたって準備する心構えです。
その準備はできていますか?
この人生で、この勉強を終えるかどうかは保証できません。


ギーターのヴィジョンとは「タットヴァマシ」という言葉で表されます。


tattvamasi1


タットヴァマシ=Tattvamasi


このタットヴァマシ(Tattvamasi)という言葉を聞いた事がありますか?


このタットワマシという言葉は
Tat+ Tvam+ Asi
という3つの言葉からできています。


この3つの言葉は大変重要な言葉と言えます。
この言葉は大変重要な言葉ですので、いつでもその言葉の意味を考えて欲しいと思います。


タット(Tat)とは、あれ、それ
トヴァン(Tvam)とは、あなた
アシ(Asi)とは、○○です。


つまりTattvamasiとは、「あなたはそれである」、という意味です。
とてもシンプルな意味です。


私達は人生を賭けて幸せを探しています。
世界がいつも動いているということを、見る事ができますか?
全ての人は走っています。
全ての虫も走っています。
世界中のすべてのものが動いています。
この世の中で、動いていないものはなんでしょうか?


動いていないものはアートマです。
アートマ以外で動いていないものはなんでしょうか?
アートマ以外で不動のものはありません。


今日は、ジョーティシャ(インドの占星術)の講座の中でグラハについての内容がありました。
この世の中には惑星と恒星があります。
それらは全て動いています。
この世の中で動いていないものがあれば、それを教えてください。
ちょっと真剣に考えてみてください。
動いていないものはあるでしょうか。


AKさんのご意見「太陽や北極星は動いていないのではないでしょうか」


太陽は動いていないでしょうか?


Cさんのご意見「銀河の中心を真中にして、太陽系も回りながら動いていると思います。」


そうです、太陽も動いています。
北極星はどうでしょうか?


Cさんのご意見「動いていると思います。」


北極星の事を「ドゥルバ」と言います。
ドゥルバは比較的、動いていないとされています。
ドゥルバとは「動かない」という意味です。


ドゥルバ=北極星


通常では北極性は動かないと考えられています。
けれども、微小ですけれども、動いています。
とても少しです。


ですから、この世界には、動いていないものはなにもありません。
この部屋を出れば、バスは動いているし、電車は動いているし、飛行機も動いているし、
風も動いているし、火も動いています。
すべてのものは動いています。


では、それらは一体どこへ向かっているのでしょう。
人々はどこに向かって動いているのでしょう。


外に出れば、人はみな動いています。
その人たちに、「ちょっと止まってみてください」といっても彼らは止まることがありません。
「私達は忙しいから」「私には時間がないから」という風に、決して止まることはないでしょう。


ですから、生きているもの全ては動いています。
一つ一つ動いているものは、どこへ向かっているのでしょうか。
みんなはどこに走っているのでしょうか。


皆さんのご意見:
「もと来た場所へ帰るのではないでしょうか」
「わからないです」
「私はどこにもいかない、ここにいるだけだと思います」
「欲望の対象に向かっているのではないでしょうか」
「ブラフマン、パラマートマに向かっているのではないでしょうか」
「死とか、滅亡に向かっているのではないでしょうか。形あるものはいつかは壊れますから」


東京駅の前に行ったら、まるでマラソンのように、みんな走っているかのようです。


皆さんのご意見:
「目的地に向かっているのではないでしょうか」
「欲望ではないでしょうか」
「その時の目的に向かっているのではないでしょうか」


それは、どういう目的でしょう?


Mさんのご意見「外にいる人は、今日1日の目的であると思います。例えば仕事が終わったらうちに帰るとか」


今日とか、今という瞬間だけではなく、人は常に動いています。
「一億円あげるからうちにじっとしていてください」と言われたらどうするでしょう。
その一億円のためにずっと家にいる事ができますか?
1日、2日、1週間くらいならできるかもしれません。
全ての人はどこに向かって走っているのでしょう。


Jさんのご意見「幸せに向かって走っています」


そうです。


人々は幸せに向かって走っています。
虫が動いているのは幸せを得るためです。


人生を賭けて走り続けたとしても、あなたはその幸せを手に入れることができるでしょうか。
100年かけて走ったとして、幸せが得られるという確信があるでしょうか?


まだ、今はわかりませんか?100歳になっていないですからね(一同笑い)。
おじいさんや100歳の方に「幸せですか?」と聞いてみてください。
100年ずっと走りつづけたとしても、幸せになることはないでしょう。


すでに私達は何年こうして走り続けていますか?


Kさんのご意見「38年になりますね・・」


それは今の体ですね。
私は今のこの体のことを言っているわけではなくて、これまでの時間全てのことをいっています。


Kさんのご意見「それは数え切れません」


そうですね。
私達は何百万年も走り続けているのです。


けれどもいまだに幸せを求め続けています。
何百万年も経っているのに私達の探求はまだ終わっていません。


なぜなら、幸せは外にあるものではなく、私達の中にあるものだからです。
以前の話した事がありますが、針をなくしたおばあさんのお話を覚えていますか?


ある時、おばあさんが家の中で裁縫の針をなくしました。
けれども彼女はその針を家の外で探しています。
みんなが「彼女にどこでその針をなくしたのか?」と尋ねます。
するとおばあさんは「私は針を家の中でなくしました」、と答えました。
「なぜ家の中でなくしたのに、どうして外で探すのですか?」と聞いてみると、おばあさんはこう答えました。
「家の中は暗くて見えない。だから外の明るいところを探しているのです。」


これは私達自身の物語です。
私達は中にあるものが見えないから、外に幸せを探し求めます。


私達はアートマが何であるのか、わかっていません。
アートマという言葉は知っているかも知れません。
私達は外にあるものが幸せだと考えています。


例えば一億円手に入れたら私は幸せになる、と考えています。
誰かと結婚すれば幸せになると考えています。
5人子供がいれば幸せになるだろうと考えています。
大きな家があると幸せになると考えています。
メルセデスベンツがあれば幸せだと考えています。
皆そのように考えています。
2台メルセデスベンツを持っている人がいたとしても、7人子供がいたとしても、
何兆円もの財産を持っていたとしても、彼らは本当に幸せでしょうか?
ビル・ゲイツは幸せでしょうか?


誰も幸せな人はいません。
「私は幸せになるだろう」という未来系の幸せはあるかもしれません。
私達にとって幸せは、いつも未来系です。いつか私は幸せになる、と考えています。
明日は幸せになると考えています。
でも今日はどうでしょう?


今日は自分はみじめである。
これはとてもおかしな事です。


ヴェーダはこう言っています。「外に幸せを探すのをやめなさい。」
「幸せは外にあるものではなく、あなた自身の中にあるものです」と伝えています。
あなた自身が幸せであると伝えています。


それこそが「タットワマシ(Tattvamasi)」です。
あなたがその幸せである、という事です。
ギーターはその事を語っています。