バガヴァッド・ギーター7章25節について、ムニンドラ・K・パンダ先生からご教授頂いた内容をご紹介いたします。
(勉強会でノートにとったものをテキスト化したものですので、一部間違いがあるかもしれません)。
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【7章25節】
なぜ、私達はアートマの事を考えないのでしょう。
それはマーヤー(幻力)があるからです。
prakasah = pra+kasah
↓ ↓
よく+ とても明るい光
なにかが見えるのは光があるからです。
ここでは「よく見える」ことを表しています。
ですから太陽の光をスーリヤ・プラカーシャ、
月の光をチャンドラ・プラカーシャといいます。
生きているものは皆、マーヤーに覆われています。
ヨーガ・マーヤー(yoga maya)のマーヤーとは
3つのグナの事を表しています。
3つのグナとはサットヴァ・ラジャス・タマスの事です。
グナ(※上村先生のバガヴァッド・ギーターでは「要素」と訳されています)の
意味はなんでしょう。
グナという言葉は「ロープ、ひも」という意味があります。
グナとは、縛るものという意味です。
この3つのグナから逃げる事はできません。
例えば塩のグナはなんでしょう。
塩のグナとは、塩辛さです。
この味と、塩を切り離す事はできません。
同じように考えれば、砂糖のグナとは甘い事です。
これを切り離すと砂糖は砂糖ではなくなります。
果たして、辛い砂糖を砂糖と呼べるでしょうか。
このように、すべてのものは性質と永遠に結び付けられています。
物質からグナを取り除く事はできないのです。
グナは、体に縛り付けられたものです。
本来、グナはアートマを縛り付けるものではありませんが、
私達から見れば、心を縛り付けられたりする事によって、
あたかも本来自由であるアートマが縛り付けられているかのように
見えてしまいます。
これは、例えていえば、雲が太陽を隠す状態と似ています。
太陽からすれば、雲がかかったからといって、どこか別のところに
隠れてしまっているわけではありません。
しかし、私たちから見れば、より手前にある雲によって、あたかも太陽が
隠れてしまっているように見えるのです。
雲は太陽から生まれたように、グナもアートマから生まれたものですが
私達から見れば、縛り付けられているかのように見えてしまいます。
砂糖と甘さは結びついています。
それと同じように、体とグナは結びついていますが、私が体を捨てる時には
グナはそこに残ります。
ヨーガ・マーヤー(yoga maya)とは、
3つのグナが万物の中に縛り付けられている事をいいます。
avrtah(AvRta) = 覆われている、カバー、という意味です。
samavrtah = すごく、より強くカバーされていて、外す事はできない、
という状態を表します。
(3つのグナは私達の中で、アートマをカバーするかのように作用しています)
ところで、3つのグナはどのように作用しているでしょうか。
個人的には以下のように関係しています。
1・サットヴァ=幸せ
2・ラジャス=不幸せ、欲望、夢をみている状態
3・タマス=怠惰、寝ている状態でなんの興味もない
これらをヨーガ・マーヤーといいます。
死、病気、お金がないなど私達の人生はドゥカ(苦しみ、悲しみ)に結び付けられています。
幸せはほんの数分です。
それに対して、悲しみは長く残ります。
私達は悲しみの流れに流されて、ヨーガ・マーヤーとなります。
まず、「幸せになりたい」という欲望があります。
いつか幸せになる、と考えて生きているのです。
しかしその日がいつ来るか分かりません。
誰かがあなたのところへ来て、本当に「今は幸せだ」という人がいたでしょうか。
皆、「明日幸せになる」といいます。
幸せはいつも未来形なのです。
幸せはいつも未来にあると考えて生きています。
ですから、大抵、私達はラジャス(不幸)の状態にあります。
そうでなければタマス(寝る)です。
しかし生きているうちに、なんらかの幸せを感じる事があります。
明日幸せになる、ではなく、今幸せである、という感覚です。
それはサットヴァ・グナです。
mudhah = 迷える、という意味です。
ルートはmuhになります。
混乱する、という意味がもとになっています。
私たちはいつも、「おなかがすいたら食べなきゃ」、という具合に
グナに振りまわされているのです。
(※そのようなことを、この節では、「この迷える世界」と言っています。)
