おはようございます(^。^)
今日も思考がぐるぐる止まることを知りません。
古代ギリシャ時代の哲学者かと
いわんばかりのグルグル模様。
もちろん好きです、哲学シリーズ。
私のヨダレシリーズの一つ。
さて
現実は、必ず誰かが誰かに不満を抱いている
さも当たり前のように
気付いて欲しいと思うことはあれど
ストレートに言うには可哀想でもある
例えば仕事のチームだとして
Aが、世間一般に見るとワガママだ
チームメンバーC.D.E.F.Gに皺寄せがいく
Bは、協調性も責任感もある素敵なリーダーだが
Aにはあまり強く言えない
腹の中にAをずるい!と思う気持ちが溜まり、
"正義"というややこしい武器を手に
憎悪が完全武装する
Bのことを他部署からZが慰める
『Aが悪いよね、Bはえらいよ』
違和感
AはAで、いつか改善しないといけない時は
やってくるだろう
人を不幸にして自分の我を通すのは
いつまでもは許されないだろう
既に"人望"という形でAは報いを受けてるとさえ思う
既に寂しいのだから
BはAのせいで不満から抜け出せず
幸せとはほど遠いと言う
指摘しても聞いてくれないから
Aさえいなければと
Aが苦労する環境を望む
気持ちは、わかる
気持ちはわかる
しかし『それはAの問題でしょ』
Bは"どう自分が変わればAが素直に
聞いてくれるようになるのか"という
自問に切り替わりはしないものだろうか
Aが好き勝手してようがしてなかろうが
Bが幸せかどうかとは違う話として捉えたい
AはAで当然、放っておいても報いは受ける訳だし
当然誰からも慕われていない
既に寂しいわけで
つまり何がぐるぐるしてるのかというと
幸せの基準を
相対評価で判断する傾向に疑問
ということ
Aは幸せ、
Bも、幸せ。
一歩下がれば、一段俯瞰できる
そうやって俯瞰して
根源をとらえて
最終的には内観するだけ
そういう世の中だと
いくらか平和な気がするような
そんな気がしてグルグル
今日もグルグル
中だけでグルグル
とまぁ偉そうに、
そんな自分も同じ経験をして今に至るわけだが
果たして
こんなに楽になる考え方なんだけど
自分でたどり着かないと
受け入れられないものだろうともわかっている
人は人間関係に『しか』悩みは生じないという
関係ないように見えても、
悩みであれば人間関係は必ず絡んでいると
きっても切り離せない人間関係
だったら人間関係で幸せになりたい
人間関係で幸せを感じたい
人間関係で学べることに感謝したい
世界中の人が
たった一人の隣の人を許せたなら
美しい地球、マザーアース
まだまだ十分、闘う価値はある