「産まれた時、自発呼吸が弱かったのでずっと鼻から酸素を入れていて…だいたい早めに産まれた赤ちゃんは呼吸に慣れるのに2〜3時間くらいかかることが多くて様子を見てたんですけど、悪化してきてる状態です。
呼吸補助をつけるために挿管したいと思っていて、そうなるとここのNICUでの管理が難しくなります。
搬送先の病院を探して、今から1時間後くらいに救急車で搬送となりますがよろしいでしょうか?」


この言葉に号泣しながら、赤ちゃんが助かるならと、もちろん承諾。

主人に連絡して病院に再び来てもらう。
(入院中、子供達は私の母が見てくれてます)

搬送先の病院が決定!
なんと、今の入院してる病院の隣。
歩いて行ける!!
今の病院にもNICUはあるけど、隣の病院のNICUは北海道で1、2を争うレベルの設備らしい。

搬送されるまでの間、自分は大丈夫なので車椅子でNICUに行けないかと助産師さん達に無理を言いました。
この時点で手術終了から4時間。
案の定断られ…でもベッドごとエレベーターホールでお見送りをさせてくれる事に。

主人が病院の駐車場に到着。
隣の病院に搬送になる事を伝え、救急車には乗れないので、歩いて搬送先の1階受付で待っててもらう。


救急隊の人が到着して、赤ちゃん搬送の処置が終わり、エレベーターホールで待ってる私と助産師さんの元へガラガラと音がしてくる。

そこに現れたのは、
搬送用ベッド(簡易ベッド?)に、横1m×高さ50cmくらいの箱が固定されていて、その箱に手を入れてる小児科の先生、
周りを取り囲むように3人の救急隊の方。

エレベーターはもう到着していましたが、助産師さんが少しだけ…と呼び止めてくれて、手術室ぶりに赤ちゃんを見せてもらいました。


箱の中で、仰向けになって寝てる赤ちゃん。
まだ挿管はしていなく、鼻からチューブ。
呼吸は苦しそうで、みぞおち辺りが呼吸する度にベコッとへっこむ…戻るを繰り返してる。


そんな頑張ってる姿に、
まだ私は下半身麻酔が効いているけどそんな事どうでも良くて。でも助産師さんは心配してくれて支えてくれてたくらい、ベッドから身を乗り出して、出来る限り赤ちゃんに近づきたくて。
「ちゃんと息してね。
元気に産んであげられなくてごめんね。
頑張ってね」と声をかけたつもりで…

実際には
「っ!息して…ね!!
ごめっん、がんばっ…て!!」

みたいな感じで泣いて何言ってるのか分からなかったくらいだったと思います。
(搬送先の病院で待ってる主人に「奥さん、すごい泣きながら頑張ってお見送りしてくれましたよ!」って救急隊の方が教えてくれたらしい)


会えたのは時間にして1〜2分。赤ちゃんはエレベーターに乗せられ、エレベーターが閉まる瞬間は…なんて言ったらいいのか…
元気になって欲しいと祈る気持ちもあり、同じ病院に入院してればいつでも会えるのに会えなくなる絶望と、あんなに赤ちゃん苦しそうなのに何もしてあげられないもどかしさと…

色々な感情が混ざりあって、ぐちゃぐちゃでした。


その後、私はベッド上安静。


搬送されて、3時間後…。
主人から「先生から話を聞きました」連絡が。



搬送先の検査の結果、
搬送前の病院であったと報告されていた脳内出血は確認出来なかったので経過観察すること。

呼吸が弱かったので挿管して人工呼吸器で呼吸補助をしていること。
レントゲンを見て、呼吸が弱い原因は呼吸窮迫症候群というサーファクタントと呼ばれる物質の分泌が足りない為。
早産児や出産時にストレスがかかるとなりやすい。

鼻から胃に繋がるチューブ、口から人工呼吸器のチューブ、点滴を入れるために足から管がついている。



これからの治療としては、
肺サーファクタントの注入療法を行い、順調にいけば人工呼吸器は数日〜1週間で管が抜けるようになり、鼻から酸素チューブ補助、さらに安定で補助終了。

早産児は無呼吸症候群になりやすいので、その際は適宜サポート。

順調にミルクが増やせて、体重が増えれば点滴除去。

重症管理が必要無くなればNICUからGCUに移動。

呼吸、哺乳、体重の状態安定で退院。
退院の目安は本来の妊娠正期産である37〜40週頃が多いらしい(34週4日で出産してます)


ということでした。


「人工呼吸器のおかげで赤ちゃんの呼吸は落ち着いて、血色も戻って来てる感じがしたよ!
24時間、しっかりサポートしてくれるって言ってくれてるから安心してお任せしよう!

赤ちゃんもすごく頑張ってくれてるし、みんなで支えてあげようね。その為にママはまず安静に体調を万全にする事を優先させてね!

と主人だって疲れてるだろうに、何とか私を安心させようとしてくれてる言葉を不器用なりに伝えてくれました。

この言葉のおかげで、ボロボロだったメンタルも、崩壊すること無く何とかもってくれてるのかもしれません。