こんにちは
chamama(のりこ)です。
いいことと悪いことが 交互にやってくるけど
それでもchamaを通して 見ている世界で
出会う人の縁を 思い起こしてみると
悲しい思いや ツラい経験があっても
いい人との ご縁に恵まれていると思います。
なかなか理解されないタイプの chamaを
分かってもらえて きちんと課題が見えた時
関わってくれていた人は chamaがホントに
必要なことを 考えてくれたんだよね。
ありがたいことです💖
ここで↑ 今の水分補給の形になるまでに
いくつか試したりしている中で
chamaが 自分で飲みたい量を飲むには
どんな環境設定をしたらいいか?
中学に上がってすぐ 考えるようになって
そこで一緒に考えてくれた先生は
残念だけど担任ではなかった…。
でもねぇ~chamaに させたいことや
させてあげたいことが 具体的にイメージできて
共有できた先生は そんなことなかったね。
使えそうなものが なかったら
chamaのために作ってくれたのよ😂
※当時の担任ではない人が 作ってくれました。
しかもポケットマネーで…
だから先生との 教材研究も楽しめたし
今でも一人で 色々試してみたくなるんだな…。
同じことを 同じ言葉で相談しても
聞いた先生によって 想像されて
イメージされることが全然違ってきて
私の作りたいものとは 違う話になる先生は
だいたい他の相談事や 支援の内容も
私の考えとは かなりズレがあったわねぇ…。
要するに 使えなかった
ないものを生み出す想像力は
先生や支援者にも 必要だね
理解力と想像力はセットだと思うから
chamaの困り感を理解しないと
ほしいのに ないものが想像できないのよね
だからコミュニケーション能力から そういう
想像力の程度も 透けて見えたりするわね。
上っ面だけで 分かったフリして会話してる人は
出来上がったものを見て 私から
違和感を伝えても それが何か理解できないの。
そして何が足りないかも 分からない…
こういう やったフリ星人は疲れるね。
ヘタすると 自己満足に自己陶酔してるから
chamaの困り感なんか 眼中にないもん
そんな担任に話しても 時間と労力のムダで
先が見えたら それ以上は話しないし
他の先生に私が話するから
担任は 面白くなかったんだろうけど…
腕力がないので ペットボトルを持ち上げて
chamaは コップに注ぐことができないから
そういう形ではなく 自分でコップに注ぐ方法
あれやこれやと考えたわけです。
これは中学部や高等部でも 関係してくるな!
と イメージできる先生は 面白がってきたので
『生徒のために!』と思う先生とは
雑談も 楽しくできたんだよね。
私…図々しくて 良かった(笑)
今は全く 使わなくなってしまったけど
chamaは今でも しっかりと
それを 作ってもらったことを覚えています
これを何に どんな風に使っていたのか
別のところで お話しますね。