はーいヽ(*´∀`)ノ♪
今日も楠木正行(まさつら)の旅……後村上天皇の住吉行宮(すみよしあんぐう)に、行って来ましたっ
住吉行宮、というだけに、ここ、住吉大社のそばにあります。
ちなみに、行宮(あんぐう)とは、天皇の仮の住まいのことなんだけど、この住まいを南朝側に提供したのが、津森国夏と言って、当時の住吉大社の神主なんです。
そう。にゃんと、住吉大社の神官家、南北朝時代には、南朝側(楠木側)の天皇を奉じていましたっ
(*^ー゚)b グッジョブ!! すみよっさーん
と、いうわけで、まずは住吉大社にお参りし、境内を、浅沢社の方に出て10分ほど歩いたら……
住吉行宮(正印殿) 到着~
昔、住吉大社のあたりには、海が迫っていたんですって。
堺浦の湊、と言って、昔からたいへん栄えた海なのだけど、この始まりが、「住吉の津」。住吉大社の社領でした。
住吉大社の神主は、代々、津森家という有力氏族がつとめていました。(出雲の千家に並ぶ日本三台名家らしいぞ)
津森氏は、鎌倉時代に入ると、摂津守をつとめる政治力を持ち、やがては南朝側(楠木親子がいる方)と、強く結び付くようになっていきます。
←めっちゃはしょったな
そんな流れで、51代目の神主、津森国夏さんが、邸内の「正印殿」に、後村上天皇をお迎えする行在所(行宮)を作ります。
と、言っても、ここは元々、住吉大社の神印をおさめるために作られたと伝わる場所。
なので、国夏さんは、ちょっと手を加えて作り替えただけなんですけど(言い方
それはともかく、後村上天皇がお住まいになったことで、この「正印殿」は、南朝勢力の重要拠点になります
住吉大社の管轄する堺浦の湊が、中国、四国、九州に散らばる官軍との連絡に、非常に重宝されたんですねー(すみよっさーん
ちなみに、なんで天皇が仮住まいせねばならなかったかというと、国内が、北朝と南朝にわかれて、戦争をしていたから。←ザックリ
南北朝は、一時的な和睦と、それを破っての戦乱が繰り返された内乱の時代でした。
後村上天皇は、約30年の在位期間中、7ヶ所もの行宮を行き来しながら、各地を転戦し続け、最期はこちらの住吉行宮で、崩御されます。戦いに明け暮れる波乱の生涯でした。
(‐人‐)
ところで。
←
おい、まだ書くのか…
この行宮に、正行(まさつら)さんは来たのか?
たぶん、ノーだと思う。
正行さんが亡くなったのは、1348年。こちらに初めて後村上天皇をお迎えしたのは、1352年と伝わるので、ここでのもろもろは、正行さんの亡くなられた後の話になりそうです。
しかーし!
ガッカリするのはまだ早い。
正行さんには、正儀(まさのり)さんという弟がいて、この人が、ひょっとしたら来ているかもしれません
(想像です。てか、正ナントカが多すぎるな…)
楠木正儀。くすのきまさのり
あまり聞かない名前ですが、
56年に及ぶ南北朝内乱の幕が降りたのは、実は、この人の、地道な交渉と努力のたまものだと言われ、今、再評価が進んでいる人物だそうです!
こうして見ると、楠木家というのは、三代にわたって、ひとつの時代の平和を実現するために現れた一族だったのかもですね。
なむなむ(‐人‐)
ということで、住吉大社は、南朝に力を貸してくれた神社だったという、ちょっと異色の歴史話でした。
はぁ~~
ワタシ、めっちゃがんばって調べたわ~~
間違ってたら、ゆるしてにゃん♪
最後まで読んでくださった方、もしいらっしゃったら、心よりお礼申し上げます
←
誰も読んでない前提。


