上赤坂城のように、山を要塞として仕立てた城を、山城というそうだ。
山城は、戦国時代まで、爆発的な広がりを見せるが、始まりは、楠木正成とその周辺にあるという。(
古代の話は除きます)
鎌倉幕府が倒れるまでに、正成は、下赤坂・上赤坂・そして千早城と、主に3つの城で闘った。
これら金剛山麓での籠城戦は、平地に集まり騎馬で闘うこれまでの戦のやり方を、ガラリと一変させるのだが、
敵を山に引き込むこの戦法は、兵力の圧倒的な少なさを逆手に取った、まさに窮鼠が猫を噛むような発想だったのかもしれない。
山を攻めるには、いかな幕府の大軍といえども、一気に押すのは難しい。
数があれば、犠牲を厭わず、新たな兵を次々投入することは出来
その意味で、大軍の利に変わりはないが、
しかし、山中で、実際の戦線にあたれる数は、さほどにはならないのだ。
敵を撹乱し、少ない兵力で、相手を確実に倒すには、どこからどう攻撃を仕掛ければよいか。
あるいは、相手を疲弊させ、まず、士気を下げさせる方法はないか……
正成と、弟の正季(まさすえ)は、合戦に備えて、一滴の汗も出なくなるほど、知恵を絞りに絞ったはずだ。
金剛山での、ひとつひとつの奇抜な戦法は、勉学した兵法と、この山での日常的な経験とが、自然と混じりあって出来たものに違いない。
なんと言っても、彼らは故郷のこの山の地形を、その隘路に至るまで知り尽くしているのだ。
金剛山でなら、やれる。
挙兵は、絶対に、金剛山でなければならない。
正成の密かな確信と心の震えを、山は、ひしひしと伝えてくるようだった。

