サムハラ神社は、時々無性に行きたくなる神社さん。

ネットなどでは、超強力パワースポットというふれこみだけど、わたしは特に何を感じるわけではないので、その辺、よくわからないニヤニヤ


ただ、一度だけ、境内で、大きな謎の渦巻きに巻き込まれたことはあり、

古代の人たちは、森や村やで、こうした色々なエネルギー体との偶発的な遭遇を経験していたのだろうな。

なんて思ったりした。



逆に現代人は、自分で感じる力がないゆえに、誰かが掲げた「パワースポット」の看板に頼らざるを得ないのかもしれないな。


「神様と話せる」などなどオカルトな世界ヘの憧れも、きっと、失った感受性を取り戻したい願いなのだと思う。


少なくともわたしの場合は、そうだった。


その証拠に(?)、風が吹いた、神様の歓迎のサインだっ!✨などと「解釈」しなくても、

自然の美しさに心が動いたら、必ずそこに神を感じている、という、当たり前のことを思い出すうち、

巷の「見える聞こえる」お話ヘの関心も、なくなっていったっけ。


ふつうに参拝するだけで、素晴らしい恩恵をいただいているのに、それを感じる感受性が自分にないから、その手の話にあるような、特殊なことに走りたがる。(あ。わたしの話だよ)


でも、すぐそばにある自然や日常に心の動かぬような閉じた感性が、どうしてその向こうの、さらに繊細な世界に向かって、感覚をひらいてゆくことが出来るのか。

どんなに特殊に見える世界も、「ここ」以外のどこにあるものでもない、というのにね。


神界魔界化け物祖霊、魂、精霊。

直感で、それらの存在をまるごと理解し、共に生きていた古代人の精神は、

理解出来ない不可解なものを切り捨ててしまう(或いは、簡単にわかったことにしてしまう)現代人より、ずっと豊かであったろう。


と言って、見えないもの(不可解なこと)を敬う気持ちと、そこに群がって騒ぐこととは、全く別の話なんだけど、その辺、わたしたちはもう、わからなくなっているのだろうね。(自戒)



さてさてサムハラ神社。

アメノミナカヌシ・カムムスヒ・タカミムスヒの造化3神を祭神とする、珍しい神社だそうだ。


サ・ム・ハ・ラという謎めいた言葉が何を現しているかは知らないけれど、

加藤清正が、この四つの漢字を彫り付けた刀を持って朝鮮に出兵し、九死に一生を得た、というのは有名な話。(グラサンネット情報です


そしてここから想像できるのは、昔、人は言葉(文字・音・意味?)そのものを神として信仰していたということだ。


サムハラ、サムハラ……と繰り返し呟くと、何かそうしたふるいふるい記憶が思い出されてくる……というのは、まあ気のせいだろうけど(笑)、

転じてこれが、昔から受け継がれてきた絶大な神呪の一種である、との想像は、おおむねのところ、間違ってはいないと思う。(ニヤニヤホントか)

「言葉は神であり、それじたい創造主であった。」

これは神話だけれど、いろんな思いを巡らせていると、言葉そのものの力を神徳と謳う、サムハラ神社の祭神が、宇宙を作りし3神であることが、何か壮大な暗喩として迫ってくるのだった………👾👽💫



今日も読んでいただきありがとうございましたうさぎクッキー