南木(なぎ)神社は、楠木正成を祀る最古の神社で、金剛山総鎮守であるタケミクマリ神社の中にある。
いちおう、境内社ということにはなるが、独立した神社と言っていいほど、社殿は立派だ。
ご神体は、後醍醐天皇手製の正成像である。
と、聞くと、参拝しながら、ここには祀られていない後醍醐天皇とも、視線を交わしている気になってくるから妙なものだ。
わたしはやっぱり、根が単純なのだろう。後醍醐と正成と、わたし。さながら三者会談の気分である。
それにしても、正成を知らなければ、こんな辺鄙な村の神社に来ることなど、一生なかっただろう。出会いとは、つくづく人をどこへ連れて行くかわからない。
まあ、わたしの人生の変化などは、微々たるものだが、
話を広げて歴史という規模で見ると、時代の要所要所に、まるで天の采配のように、要となる人物が現れ、
必要な出会いを果たし、事を成してゆくのは、ほんとうに、不思議なことだと思う。
人は、その人がその人と成るために、誰かと出会うのではないかとさえ、思えるぐらいだ。
さて
正成の決起が鎌倉幕府滅亡に繋がって行く、後の展開を思えば、彼の登場は、やはり歴史の大きな転換点であるけれど
その正成とて、後醍醐天皇と出会い、そこに可能性(未来)を見なければ、よもや決起など、しなかったのではないだろうか。
反幕行動が頻発する時勢にあって、彼は、長らく雌伏を続けていたのである。
楠木正成は、実は慎重な性格だったそうだが、それは、彼が何より、無益な争いを嫌っていたことと、無関係ではないと思う。
正成が、なぜ立とうと決めたのか、その心の動きには、想像が尽きない。
歴史の楽しみは、想像する楽しみなのだと、わたしはようやく気がついた。
ともすれば、ほんとうか嘘か、正しいかそうでないか、そんなことにばかり気をとられがちだけれど、
では、その「正しい」とはどういうことか、考えてみれば、そもそも人間の人生を扱う歴史の正解とは何なのか、よくわからない。
そう。歴史を生きているのは、わたしたちと何ら変わらぬ人間たちだ。
それを遠くに見せているのは、歴史を年号の羅列に変えてしまった、学校のお勉強だろう。
しかしだからこそ、ひとたび興味を持って近づけば、あっという間に、距離は縮まる。
不思議なことだが、歴史上の人物は、それを振り返るわたしたちの心によみがえる。
もっと言うなら、思うわたしがいなければ、歴史も、彼らも、いないも同然かもしれない。
思うとは、今現在の心の働きだ。
だから、わたしたちが思う時、彼らは、まさに今、ここに「いる」のだ。
実在しないはずの正成が「いる」。
どういうことだろうと、ずっと考えてきた。(先月から)
もちろん解明なんか、出来はしないが、ひとつだけハッキリしたこと、それは、歴史も、歴史上の人物も、史料や年号の中に存在するのではない、ということだ。
歴史とは、彼らと、彼らが経験した出来事(心)を、わたしの中によみがえらせる体験だ。
だから歴史は、それを経験する「わたしの」体験なのである。わたしが彼らを、「今、ここで」生きて体験することなのである。
(うまく言えない)
この日、上赤坂城を歩いて、わたしはそんなふうな歴史観を持った。
歴史とは過去であり、もはやどこにも実在しない。にもかかわらず、思えばなぜか、過去は心に立ち上がる。
ほんとうに、不思議なことだと思う。
なぜ、過去が今ここにあるのだろう。
なぜわたしたちは、知らないはずの歴史を振り返ることが出来るのだろう。
歴史を体験しているわたしとは?
心とは?
時間とは?
…………
歴史を感じている時、わたしたちは、謎に満ちたスピリチュアルな領域へと、さ迷い出るのではないだろうか。
わたしは、くすんだような、色褪せたような南木神社の社殿を見つめる。
菊水の紋が入っている。
菊水紋は、楠木家の家紋だが、これは正成が、後醍醐から贈られた菊の紋と、自分の氏神である水神をイメージした流水形を合わせて作ったものだという。
後醍醐と正成。
「不屈の覇王」と「南北朝の英雄」。
紋からして、まさに双子の半身同士のような二人だが、彼らがもし出会わず、手を携えることがなかったら
歴史は変わり、わたしもまた、正成に出会うことはなかったのかもしれない。
出会いという過去の一点の偶然は、現代の我々にまで繋がっている。
湊川神社と菊水紋
境内を散策し、何の気なしに振り替えったら、みずみずしい色彩と光を湛えた南木神社の社殿が、春のうるんだ空気の中に、夢のように浮かんでいた。
美しい。
輝きを増した一帯を、しばしほれぼれと眺める。


