~お願い~
今回は戦争の話ですので、苦手な方は、ご遠慮くださいね(‐人‐)お越しいただき、ありがとうございました
わたしには、気になっていることがあった。
平野将監(ひらの しょうげん)という武将のことだ。将監について、この時わかっていたのは、以下の3つ。
⚪上赤坂城の戦いにおける楠木軍の「大将」
⚪投降して斬首された
これだけだ。
ここに来る前、上赤坂城の戦いについて、太平記を読み直した時から、彼のことは、なんとなく引っかかっていた。
ざっと調べはしたが、特に何がわかるわけでもない。踏み込むのも面倒になって、そのままうやむやにしていた。
が、山を歩いているときから、チラチラと、名前がよぎるのだ。
山中の案内板で見た、「首切り場」という言葉が、この城で人生最期の大戦を戦い、斬首された男の名前を思い出させたのかもしれない。
首切り場……なんとゾッとする言葉だろう。
木立に阻まれ、現場こそ見えなかったが、戦の肉感を生々しく伝えて、背筋を冷たくする。
初めて歩いた山城の興奮は、この城の悲しい歴史を忘れさせたが、上赤坂城の戦いは、楠木側の敗北に終わる。
わたしは、本丸のベンチで、太平記の中の、上赤坂城の場面を思い浮かべた。
8万の鎌倉幕府の大軍が、ここ上赤坂城に押し寄せた。
響き渡る閧(とき)の声は、山々にこだまし、地鳴りのように大地を揺るがせた。
幕府軍は、1日に600もの死傷者を出しながら、それでも攻めに攻める激しい攻撃を仕掛け
山にこもった楠木の兵たちは、攻撃が増すほど、いよいよ気勢を上げて闘った。
しかし、寄せ手に大きな苦戦を強いた上赤坂城も、水源を断たれて落ちる。
楠木正成は、上赤坂・千早城と、主に2つの城を、金剛山麓に構え、これら二つをもって、一つの戦と捉えていた。
「この正成が生きている限り、必ず勝つ」
そう豪語した話が伝わるように、彼の頭の中には、一戦一戦勝負を決する、というより、もっと長期的な展望が、あったのだと思う。
が、落城すれば、多くの犠牲は免れ得ない。
水を断たれ、乾きに耐えかね投降した、平野将監(しょうげん)以下282人が、六条河原にて、一人残らず首をはねられる。
正成は、この時、詰め城である千早城にいたというから、将監は、おそらく自分の責任に於いて、投降を選んだのだろう。
彼は、上赤坂城の戦いでは、「大将」を務めていた。
斬首は、助命の約束を反故にした、幕府軍の卑怯なふるまいによって実行されたもので、
知らせを聞いた千早城の正成と楠木一党は、地団駄踏んで悔しがり、何があろうと戦い抜こうと、獅子のごとくに猛り立った。
こうして、戦いの場は、いよいよ倒幕の最後の砦、千早城へと移るのだが……
わたしには、疑問があった。
投降した将監(しょうげん)に対して、同じく上赤坂城で、副将として戦っていた、正成の弟・正季(まさすえ)は、この後、千早城の兄の元に落ち延びているのだ。
この明暗は何なのか。
そして、楠木正成は、この大一番にあって、なぜ弟・正季(まさすえ)ではなく、平野将監を大将に任じたのだろう?
太平記を読む限り、将監という男は、ほとんど裏切り者のように描かれている。
詳しい内容はここでは省くが、太平記は、まるで、こんな男が采配したから上赤坂城は落ちたのだと言いたげな口振りなのである。
はじめはわたしも信じて憤慨した。
だから、最初に書いた通り、どこかに不審を感じながらも、それ以上追う気にならなかったのだ。(そもそも資料も少ないが)
が、古戦場を歩いた今、胸に息づくのは、持ち場に関係なく、皆、一丸となって戦った楠木軍の無心の勇姿である。
わたしは疑い始めていた。
平野将監は、ほんとうに、太平記の言うような卑怯な男だったのだろうか。
もし、それが事実なら、正成は、なぜそんな男に、大事な城を任せたのだろう。
それとも、楠木正成は、共に戦う相手の器も見極められない、マヌケな男だったとでも言うのか?
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平野将監とは、誰なのか。
そしてなぜ、正成の弟・正季(まさすえ)は、皆が投降する中、ひとり落ち延びられたのか。
うやむやにしてきた疑問が、大きく蒸し返されてくる。
調べなくては。
太平記は多くを語らないが、上赤坂城は、想像を絶する激戦の場と化したのではないだろうか……
胸の底にふるえるものを感じながら、わたしは山を降りた。
~つづく~

