上赤坂城は、金剛山の裾野にあるのだが、この山は霊峰で、鎮守の神々がいる。
無視してください(///∇///)
タケミクマリの神、と言っていいのかどうかは知らないけれど、
アメノミナカヌシ 天水分 国水分
ミズハノメ セオリツヒメ
これらの神々がそれにあたり、麓には、奉祀の神社もある。
建水分神社(タケミクマリ)。金剛山総鎮守だそうだ。
この神社は、楠木氏の氏神神社でもあり、思えば正成は、幕府の大軍勢を、これら親しき神々の懐で迎え撃ったのだった。
圧倒的な兵力差をもろともしない、驚異的な戦いぶりと、それを起爆剤に、雌伏の反幕勢力が次々と蜂起、鎌倉幕府を追い詰めてゆく展開には、神がかり的な力を見る気がするが、
先の見えない籠城戦を、耐えに耐え抜く正成と楠木一党に、やはり金剛山の神たちは、力を貸したのだろうか。
倒幕までの激流のような展開には、どうしても、神の後押し、と言いたくなるような勢いがある。
しかし、歴史のこうした「奇跡」を知るにつけ、わたしはこうも感じるのだ。
ほんとうに在るのは、何か宇宙的な力であって、人間というのは、その力の営為のなかの、仮の現れではないのか、と。
成功と神を絡めて語るとき、私たちの自尊心は満足するが、いうまでもなく、神は個人の欲や都合に与するためにいるわけではないのだ。
神は神の目的で動いている。
偉大な武将たちは、その事を知っていた。
だから達観した言葉で、「勝負は時の運」と言ったのではなかったろうか。
それはともかく、優れた武将は、直感的に、時と流れを読み、自分ではない力の渦そのものと同化する、シャーマニックな力にも長けていたんだろう。
1334年、正成は、水分神社の社殿を現在地に移築、再建する。
1334年といえば、鎌倉幕府が倒れ、晴れて後醍醐天皇による建武の親政が成った年だ。
再建は、後醍醐の勅命だというが、彼にとって、この勅は、どんな官位を賜るよりも嬉しい褒美だったろう。
幼い頃から親しみ、戦においても共にあった氏神への、最高の奉納。
柏手を打つ正成の、晴れやかな顔が見える気がする。
水分神社には、3年後、さらに神階正一位という極位が授けられた。
しかし前年、湊川で戦死した正成は、その事を知らない。
金剛山での激戦を戦い抜いて、たった2年で、彼は世を去ったのである。
その事を知ると、神社再建というなんでもない出来事が、彼の人生の激動と、ひとときのはかない平和を語って、胸を打つ。
正成は、いつかの出陣の折、こんな歌を詠んだという。
久方の天津朝廷(あまつみかど)の安かれと 祈るは國の水分の神
朝廷の要人となってからも、正成は、ここを訪れたのだろうか。
そして、ふるさとの神々にだけは、乱れる国を憂う気持ちを、そっと打ち明けたのだろうか。
歴史の喜びも悲しみも呑み込んで、金剛山の神たちは、静かにこの村を見つめている。
つづく
次回はまた、古戦場に戻ります。正成♪正成♪
大好き正成♪


