荘厳浄土寺からの帰り、創業450年の老舗、「住乃江味噌 池田屋」さんで、「合い味噌」300グラムを買う。
そして再び住吉大社へ。
さっきは、ほぼ通り抜けただけの参拝だったので、今度はゆっくり、住吉大社歴代の神主さまをお参りするのだ。
特にこちら。
薄墨社。手前
木造の建物は、昔の住吉神宮寺のごま堂
前回書いた荘厳浄土寺を再興した、第39代神主、津守国基(くにもと)さんがお祀りされています。
津守国基(つもり くにもと) 1026~1102
住吉大社神主の子として生まれる
箏や舞の名手で、おまけに馬術にも優れた、たいへんな文化人だったそう。
特に、歌には造形が深く、その腕前は、五拾遺和歌集にも選ばれるほど。
「薄墨に書く玉章(たまずさ)と見ゆるかな霞める空に帰る雁がね」
これは、歌集に載ったうちの一首なんだけど、この歌の一説をもじってつけられたあだ名が「薄墨神主」(ネーミングセンス( ̄▽ ̄;)
「薄墨社」という、変わった名前の由来も、この歌に発するんですって。
へぇ~
←Wikipediaに載ってる情報です
まあ、これだけ聞くと、芸能に優れた風流な人、ぐらいの感想しかないんだけど、実はこの活動の裏には、彼の辣腕経営者としての顔が隠されていた……。
はい
ちょっと休憩

戻ってきたら、結婚式やっていた
平安時代当時って、歌が旨いことは、神にも通ずる価値だったそう。←ちょっと大げさか
で、それは、ある一面では、栄達の手段でもあった。
国基自身、歌を通して宮廷に出入りし、実力者たちとの繋がり(コネ)を得て、力をつけた人。
また、彼は、歌の神を勧進し、和歌の上達を願う貴族たちを、次々と住吉大社に引き付けてもいった。
「住吉大神は歌の神」という、今に続く神徳が生まれたのも、実は国基の働きかけがひとつのキッカケだったのだって。
そういうところで、彼は、風流な趣味人というより、精力的な活動家だった。
のだけれど。
くにもっちゃん、なんでそんなにがんばっていたかというと、その根底には、いつも、住吉大社への思いがあったからなのだ。
この時代、神主が、漠然と神主をつとめているだけでは、神社はとても、生き残っていけなかったのだって。
もちろん、彼は芸事を好きで、秀でてもいたのだけど、
その才能を活かしてのしあがり、財をなすことで、彼が残した最大の功績は、
住吉大社を守ったこと
なんだよね
国基は、住吉大社中興の神主と言われている。
中興、ということは、寂れていた時代もあったんだろうよ。(たぶん
今、住吉大社は、誰もが知る有名実力派神社だけど、
そのますますの発展のために、津守国基という人の果たした役割は、はかりしれなかったのだ。
……………
そんなわけで、国基さんよ、ありがとう。
なむなむさせてもらうゾ
つくづく神社って、人が作った、人の歴史なんだなって思った。
わたしたちも、現在歴史作成中
あ。上の話は、調べたことを、「わたしは」こんな風に理解しました、というだけなので、読んだら「ふーん」で、忘れてください
では、またね~👋
ありがとうございました




