大阪・天満橋に行きました。
ハイ、これを見たかったんです。
小楠公義戦の跡
あ。今日も楠木(正行まさつら)ネタですよ
この辺りには、大きな川が流れているのですけど、ここで正行さんが、戦のさなかに、たいへん義にあつい、美しいふるまいをなさったと知り、どうしても現場を見たくなったんです。
そのふるまいというのは、「渡辺橋の美談」として知られているそうで、(ちゃまは、ちょっと前まで知りませんでしたがね)
例によって、にわか勉強ですけど、ちょっと書いてみますとですね……
昔、住吉の合戦、というのがあったそうなんです。
この合戦で、正行さん率いる楠木軍は、幕府方を大破しまして、敗走する幕府軍を、今の天満橋の辺りまで追ってきたんです。
現在では、この辺、ざっと見ただけでも、あちこちに立派な橋がかかっていますが、昔は、橋は一本しかなく、退却する幕府方の兵たちは、そのたった一本の橋(渡辺橋)に、我先にと詰めかけたそうです。
ここを落とされると、逃げ場を失うわけですから、現場は大混乱、押し合いへしあいで、大多数の兵が、誤って、河へ転がり落ちました。
季節は冬。河の水はたいへんな冷たさです。
甲冑を着たまま、凍てつく河で、折り重なってもがき溺れる人々を見て、正行さんは、いたたまれなくなったのでしょうね。
戦をやめよ!
そう号令をかけると、そこにいた楠木の全軍をあげて、河に落ちた者たちの救出にかかりました。
そうです。敵も味方も関係なく助けたんです。
正行さんは、凍える敵兵たちに暖をとらせ、疲れたからだを食べ物と衣服で労い、傷を負った者には手当てまでして帰してやったそうです。
…………
と、いうふうなことが、昔むかしの大阪で起きていて、それを伝える石碑が、今の天満橋、八軒屋浜の辺りに建っています。
正成(まさしげ)さんの時代から、楠木の言い伝えには、美しい話が多い。
でも、今まで、数々に伝わるどんな美談を聞いても、「負けた」ということが、舌を噛み破りたいくらい悔しかった。
単純な勝敗の問題ではなく、戦いの場でさえも、博愛と清廉な心を忘れなかった彼らが、こんな気高き人々が、なぜ「敗者」として、死なねばならなかったのか……
それを思うと、運命の苛烈に対して、歯がゆさが募ったんです。
だけど、この日、川辺に座って、流れる水に歴史の光景を写し見た時、気がついた。
負けたって、死んだって、逆賊と呼ばれて晒し首にされたって、彼らの気高い心が汚されることは、決してないんだなあって。
「勝負」に負けても、楠木正成の戦いは、楠木正行の一生は、天に一点の恥じるところもなかったのだ……。
そのことにハッとした時、大好きな人たちが、どこまでも正々堂々、人にやさしくあってくれて、よかったと思いました。
負けてもいいんだ。
人間の価値は、勝ったの負けたの、そんなことでは揺らがない……
正行さんと楠木軍が、敵味方に関係なく、傷ついた者を労い助けた「渡辺橋の美談」。
この話は、日本が国際赤十字連盟に加盟する際のアピールポイントとしても披露され、難渋していた加盟への道を一気に開いたそうです。
もしも自分が、戦の場で、敵軍の大将から命を助けられたら……想像するだけで、心がふるえますね。
敵兵の中にも、このふるまいに深く感じ入った者はいて、楠木に帰伏した彼らは、正行さんと「四條畷」を戦い抜き、最期を共にしたそうです。
みんな、みんな、安らかに……
最後まで読んでくださり、ありがとうございました(‐人‐)





