さて。前回からの続きです。


今日はこれから、ちゃまが、少ない資料と乏しい経験を総動員して?一生懸命調べた、南北朝の勇将、和田賢秀(わだけんしゅう)公の物語を、まとめてみたいと思います。

一般的に知名度低めな人物だと思うけれども、読んでくださる方がいらっしゃると、幸いです照れ




賢秀(けんしゅう)さんのお父さんは、楠木正季(まさすえ)と言って、楠木正成(まさしげ)公の弟でした。

正行(まさつら)さん(正成さんの長男)と賢秀さんは、子供の頃から共に学び、共に遊び、大人になっても、いつも一緒だったそうです。

賢秀さんは、正行(まさつら)さんより身体も大きく、武勇に非常に優れた人。緒戦において、めざましい戦いぶりを発揮していました。



湊川の戦いで、父たち(正成・正季)が亡くなると、賢秀(けんしゅう)さんは、楠木一門の長となった正行(まさつら)さんを、右腕となって助けます。


賢秀さんが、かつての味方に討たれ、その際の伝説によって、「歯の神様」として祀られるようになった、という話は、以前に書いた通りですが、

彼が首をとられたのは、正行(まさつら)さんが四條畷の戦いで亡くなられたあと、敵将・高師直(こうのもろなお)を討ち果たさんと、単身、敵陣に潜入していた時だったそうです。

あと一歩……あと一歩のところでした。(寝返ったかつての味方に見つかってしまうんです……)


しかし、宿願果たせず、彼もまた、四條畷の戦いで、亡くなります。
正行さん、23歳。賢秀さん20歳。
賢秀さんは、剃髪して最期の戦いに臨んでいました。

……………



最後まで読んでいただき、ありがとうございました。



賢秀さん、安らかに……(‐人‐)