四條畷神社 お正月仕様門松


大阪府四條畷市
建武中興15社のひとつ
祭神は、楠木正行(まさつら)公 
他、一族の将士24柱
明治23年(1890年)創建




さてみなさま。


今日はここで、ざっくりとした歴史の流れと共に、「建武中興15社」について、自分なりに理解したことをまとめてみようと思います。
((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル




あ。にわか勉強で、間違い多発してると思うので、読まなくていいっすよもぐもぐ
←めっちゃ弱気だな(笑)


ニヤニヤニヤニヤニヤニヤニヤニヤニヤニヤ





後醍醐天皇は、楠木正成らと共に、鎌倉幕府を倒したあと、自ら政治を執り行いました。(建武の新政 または建武の中興という)

しかし。

彼の政治は、あんまりにあんまりだったので、せっかくの倒幕も束の間、ふたたび世は乱れます。

足利尊氏が、別の皇統(北朝)の天皇を奉じて挙兵し、室町幕府をひらくと、明治の王政復古まで、武家の時代が続きました。






やがて明治時代に入ると、南朝側(後醍醐天皇側)の皇族や武将らへの再評価がなされます。

明治政府が、武家政権と絡んだ北朝ではなく、「皇」を尊ぶ南朝を正統としたからです。


後醍醐天皇は、それまで武家中心だった国を、天皇中心の国に戻そうとした人。


彼の思想、やろうとしたことは、失敗したとはいえ、幕末から明治維新の原動力となった、尊皇思想に重なっていました。


人は、自らの正当性を証すための「よすが」を必要とします。
理想とする生き方のモデルを求めます。


『太平記』で活躍する、南朝の英雄たちは、顕彰され、時に神格化され、やがて神社の祭神として、祀られるようになりました。


このようにして、南北朝時代、後醍醐天皇を支えていた南朝の皇族、武将らを讃えて建てられた15の神社を、建武中興15社、といいます。

楠木正成公を祀る湊川神社や、その子、正行公の四條畷神社も、そのひとつです。




あ~緊張した~チーンチーンチーン

こういうのまとめるって、難しすぎるぅ…😵

ふう~~(〃´o`)=3


ま、そんなわけで、建武中興15社、ほぼ明治初期に創建されています…
明治の偉い人たちのおかげで、ちゃまは、正成さんや、正行(まさつら)さんら、大好きな楠木一門にお参り出来るんですね
なむなむ(‐人‐)



今日はもう、寝る😪💤💤