自分のなかに、こうあってほしい自分って、いるよね。
この頃そういう、自分の理想とする自分と、
実際の自分のテンションが全く合っていなくて、
内側がなーんかこう、立て付けの悪い扉みたいに、ガタピシいっていた。
このあいだも神社に行った時、自分のなかの齟齬ある状態に気がついて、
もっと、ありのままを許していきますって、神さまにお話ししてきたのだけれど、
実際そう簡単に、自分は一丸とはならないわけで、相変わらずガタピシガタピシだったのだ。
でね、今日、思ったのだよ。
ありのままって、どこかにそういう固定された自分がいるわけではないんだなって。
「今」自分が感じていること、したいこと、望んでいること、ここに「ありのままの自分」はいて、
しょーもないとか、みっともないとか、そんなんじゃダメ、とかの理由で、理想が自動的につぶそうとしなければ、
どこを探すまでもなく、自分はずーっと、ありのままだったのだ。
自分って、今この瞬間にしかない、瞬間ごとの表現なんだなって思った。
瞬間瞬間の生成と消滅。
だから、つじつまも合わず、実はまとまった実体にもなれない。
と、考えると、自分とは一体、何だろうか……て謎が立ち上がってくるけれど←あ。ややこしいので、ここには深入りしませんよ
フツーの話、ありのままを許すというならば、今、この瞬間やってきた思いやふるまいに、ダメを出さないってことでしかないんだな。
それがどんなにしょーもなく、ムダに見えても、そのしょーもない、ムダなことを、「ワタシ」は、したかったんだもんね。
今日も来てくれてありがとう

