よくスピな人たちが言っているようなエネルギー的なものを、敏感に感じたりは、あまりしない方なのだけど、
それでも、強烈な体験は、三回あり、そのすべてが、出雲大社です
1回目は、最近ブログにも書いた、初めてのビリビリ。
2回目は、夕方の境内を、ごきげんで歩いていたら、
急に、何かがボカンっ!ときて、衝撃で、でんぐり返りしそうになったこと。(でんぐり返りは3割増で書いています←わかっとるわ
)
で、3回目が、今回のお話。
今年の6月に行った時の出来事です。
帰る日の朝、いつものように、一番乗りでお参りし、ちょうど素鵞社(そがのやしろ)にさしかかった頃。
ちょっと、手指がしびれたような感じがしたんです。
今思えば、この時すでに、周辺のエネルギー状態が、高まっていたのだろうけど、
そんなことは、ド素人のちゃまには、皆目わかりませんので、なんかちょっと寒いのかな←6月ですけど?、ぐらいにしか思っていませんでした。
素鵞社は、大社一のパワースポットで、祀られているのは、スサノオノミコト。
帰る日だし、あいさつしておこうと、ちゃまは、お社の前に立ちました。
すると…
来たんです。
上の方から
何かがワーッと。
←乏しい表現力ですまぬ
何、ということは全くわからないけれど、
以前のビリビリや、ボカンとは明らかにちがう、
大きな質量を感じさせる何かが、ちゃまに向かって、降りてきた。
これはもう、ハッキリとわかりました。
今から思えば、その直前から、珍しいことは、起きていました
お社の前に立つと、どこから来たのか、鳥たちが、突然、ちゃまの周りに舞い降りて、
その中の、雀と鳩が一羽ずつ、お賽銭箱の上に、ちょこんと止まって、じっとこちらを見ていたり、
スサノオさまに挨拶しようと口を開きかけたとたん、
アタマがほんとうに真っっっっっっ白になって、何も言えなくなってしまったり。
仕方がないので、ちゃまは、手を合わせたまま、ぼーっと立っていました。
すると、前述した、大きな「何か」が、何の前触れもなく、ちゃまに向かって、降りてきたのでした。
そして、その「何か」は、来た時と同じように、いつの間にか去っていました。
ちゃまは、ぼんやりと思いました。
スピリチュアルな体験って、求めなくても、必要あらば、あちらからくるんだな、と。
振り返ればいつもそうだったけど、それらは手を替え、品を替え、思わぬ時に、思わぬところから、思わぬかたちで、求めもせぬのにやって来た。
だとすると、こちらに出来ることは、せいぜい自分を整えておくことぐらいなんですよね。
(自分を一番惑わせるのは、自分だからね)
そして自分を整えるとは、心だけでなく、体にも言えることを知りました。
というのも、
この直撃体験?の後、ちゃまは、自分の肉体の、あんまりなへなへなぶりに直面したのです
足はフラフラ、アタマはクラクラ、もひとつおまけに、息切れまでするトリプルパンチ。
立っていただけなのに、息切れって!←老人か
体は命。命とは、神の息吹。
心や思考もまた、目には見えない不思議なもので、人間の存在それ自体が、すでにスピリチュアル。
見える世界と見えない世界は、今、ここに、あざなえる縄のごとくにある。
不思議な体験をするのは、楽しいけれど、それらは、とっかかりではあっても目的ではないのよね。
そうした体験を、自分を力強く生きる糧にしていけたらいいなあ
ただ、今回の場合、何をどう糧にするかは、全くもって、わからんが。
ちゃまは、出雲大社の大きな空を仰ぎながら深呼吸しました。
今日も読んでくれてありがとう
