生理中の参拝には、良いも悪いも「ない」。
何かに対して、良いか悪いか言っていることじたいが、人間の考えの範疇を、一歩も出ていないことの証拠なのかも…。
そんなことを思ったちゃまは、結局、
自分で考えて決める
という、至極当たり前のことが、この答えのない問いへの、答えらしき答えだ、と結論しました。(正解がないから、外に答えを探しても無駄なのだ)
生理中に参拝するということは、生理中に参拝するということ、それ以上でも以下でもない。
「あるがまま」である神さまは、人が一生懸命考えて、出した答えを、そのまんま、受け止めるだけなんだな。よし、これで落着
………と、思いきや、どうもそうではなさそうでした。
自分の中に、それでもまだ、参拝を躊躇する気持ちが残っているのを見つけたのです。
なんでだろう、なんでだろう……

ようやくわかったそれは、
自分の中に、生理中の参拝は悪いことだ、という、そもそもの強い思い込み(決めつけ)があったこと、でした。
生理時、神社に行くのが怖かったのも、出雲大社で、謝ったり小さくなったりしていたのも、全部この、「悪いことをしている」という意識があったからでした。
気づいてみれば、当たり前のことだけど、
そんな思い込みが在る、ということにさえ、気づけないくらい、
それは、自分の中に、あまりに正しい顔をして在り、
在ることに気づけないから、疑うこともできなかったのでした。
ちゃまが生理と神社の話を初めて聞いたのは、13歳の時で、穢れという言葉を吹き込んだのは、母親でした。
この母は、全く無信心でありながら、いや、無信心であるからこそ、
神仏はバチをあてるだの、生理中の女性は穢れているだの、考えなしの迷信を、まことしやかに語っていたのです。
もちろん、そんな話は無視していたつもりだったけど、「生理中の参拝=悪」という考えは、
穢れている、というショッキングな言葉と共に、思春期の心の奥底に、深く刻まれていたのだと思う。
大人になって、神社に目覚め、神様と話せる、という人の存在に驚き、
そうした人たちが、生理中の参拝自粛を、「神さまから聞いた話」として披瀝(ひれき)するのを読んだとき、ちゃまは、
そうか、昔から言われていることはやっぱり本当だったんだ…
と、アタマから盲信してしまったんです。
そして、気づくこともできなかった、この最初の思い込みこそが、その後のさまざまな認識の歪みを生んでいくことになったんです。
そう……
ちゃまを惑わし、縛っていたのは……
神さまと話せる人でも、母でもなく……
ほかでもない
「自分の考え」
でした


生理中の参拝を許していなかったのは…
神さまでもなんでもなく……
自分だったんです。




ぎえええええええええええええええええええええええええええ











そりゃあ、いくら、自分で決めていい、これは、神さま云々の問題ではない、と理解出来ても、躊躇の気持ちがなくならないはずでした。
やっぱり、生理中に、あちこち参拝に行くしかない。
そうして、生理中に参拝する自分を許しながら、肚の底から「大丈夫」を知る時を、待つしかないんだろうな、と思いました。
ところで、ご本殿に上げてもらった話。
例祭の帰りに、薬園八幡(源九郎さんのすぐ近所)に行くと、
何かの取材なのか、立派なカメラを持った男性たちが、
宮司さんから、建築様式や、年代についての説明を受けていました。
そばでコッソリ聞いていると、彼らはこれからご本殿に移るようす。
いいな~いいな~
うらやましいな~。
ちゃまもご本殿上がりたいよう~

と、思っていると、一人の男性が、突然、くるっとこちらを振り返り、
「あの、もしよかったら、ご一緒にいかがですか✨」
と、声をかけてくれたのです。
ええええええええ?
いいんですかあっ♥
宮司さんも、全く部外者のちゃまを、どうぞどうぞと快く受け入れてくださり、ちゃま、まんまとご本殿に侵入
薬園八幡には、ふだんから源九郎さんの行き帰りに必ず立ち寄ってはいたけれど、
「これから源九郎さんに行ってきます」
「今日も、源九郎さんステキでした」
と、よく考えれば失礼な報告をしていくだけでした。
なぜそんな薬園八幡のご本殿に?
と、思ったけれど、きっと、源九郎さんとの連携プレー?なんだと、都合よく思っています。
実は、例祭の前に、ちゃまは、生理である旨、源九郎さんに、コッソリ断りを入れていたのです。
神さまに迷惑をかけるのは怖くて仕方なかったけど、
どうしても、今日の例祭に来たくって、
自分の中の罪悪感と闘った。
源九郎さんに、春の大祭おめでとうと言いたかったのだ、と。
ビビりは、そう簡単にはなおりません。
でも、以前のように、神さまの顔色をうかがうのではなく、弱い自分を、ただ正直に開いたら、
最後の最後、嬉しい贈り物がやって来た
源九郎稲荷での直接の出来事ではなかったけれど、
近しい神社のご本殿に上げてもらったこと、あれは、源九郎さんからの
「余計なことは気にするな✨」
というお返事だった、ということにしています。
神さまは、怒らない。恐れを見せるのは、いつも自分の心。
生理中の参拝NG説、あれも結局は、自分の中の恐れや罪悪感を肥大させて、受け取っていただけなんだと、今では思っています。
「神さまと話せる」という人たちが、いちばん伝えたかったのは、神さまがいかに大きい存在かということ。
生理中の参拝という、(彼らに言わせれば)「良くない」ことでさえ、正直に謝れば許してくれる。神さまとは、それほど度量の大きい存在ですよ、と、いうことだったのだ。
←ちゃまの勝手な解釈です
自分の中の恐れを見つけ、向き合った時、あんなに罪悪感を刺激し、ちゃまを惑わせ続けた
「神さまは怒らないが、生理中の不快を我慢してくれている」
というこの言葉が、もはや、「神さまと話せる」彼らが、大好きな神さまを思う、やさしい配慮にしか、見えなくなっていました。
なあんだ。ばっかばっかし~
何の問題もないじゃないか。
おかしさが、小さな泡のように、込み上げてきました。
~おしまい~
今日も読んでくれてありがとう
お疲れさま

