その日、ちゃまは、西宮神社に来ていました。
お正月の福男レースで有名な、えびす様の総本社です。
ここは、ちゃまが、世界で一番お慕いしている大国主さまが、ご本殿だけでなく、別の境内社にもお祀りされているという、パラダイスな神社。
そんな西宮神社の境内のベンチに座って、ちゃまは、いつものようにぼんやりしていました。
西宮神社
疲れたなあ…
ちゃまは、ため息をつきました。
源九郎稲荷の眷属が来る、という、よくわからない話を、いったんは、信じてみることにしたものの、ちゃまは、この話の落としどころを全く見つけられずにいました。
ならば忘れてしまえばいいのだけれど、
いないと思えば、なんだか寂しく、かといって、いるとも思えないものを「いることにする」のは、空々しく、
暇人は、愚にもつかない悩みの沼に、すっかり体ごと絡めとられていました
いる、いない、より、信じる方にも、信じない方にも、振り切ることが出来ない自分の優柔不断に憔悴していたのです。
(憔悴=しょうすい。みんなは読めるだろうが、ちゃまが、読める自信ないから、フリガナを打っておくゾ
)
そんなちゃまを、西宮神社のおおらかで優しい空気は、ゆったりと包み込むように、癒してくれました。
30分、1時間…
もしかすると、もっと長くいたかもしれません。
何にもせず、何にも考えず、ひたすらぼんやり風に吹かれていると、大きなものに連なってゆくような、自分を失う心地よさが、少しずつ広がってゆきました。
ちゃまは、ふと思ったのです。
神さまのことを、自分は何にも知らないんだなあ…
神様のことなど、わかるはずがないんだ

そんな、わかるはずのない神さまのことを、自分のわかるようにわかろうとしても、理解出来ないのは、当たり前じゃないか?
ちゃまは、急に目が覚めたような気がしました。
わからないことに出会うと、わからなさに耐えきれず、何とか自分の狭い理解の中に、事をおさめて、安心したくなってしまう。
でも、どんなにわかったつもりになっても、すべて自分の小さな解釈にすぎないのだから、解釈している以上、安心は、得られなくて当たり前だったのです。
眷属さんのことも、ずっと、自分の狭い考えの中で計ってきたんだなあ、と思いました。
わかる必要なんてない。
なんにもわからなくていい。
ぜんぶ、任せていたらいいんだ…
そう思った時、心の底からほっとしました。
なあんだ…
ちゃまは、大きく息を吐きました。
「源九郎さんが大好き!」
それだけでよかったのです。
眷属が来る、という、話の特殊性に惑わされて、混乱していたけれど、ちゃまがほんとうに心を傾けるべきは、眷属さんではなく、
源九郎稲荷大明神(ウカノミタマノカミ)
であって
この高貴な稲荷の神をひたむきに思っていれば、そこに連なる眷属を思うことにも自然とつながっていくのです。(知らんけどな
)
眷属さんのことを、理解してやり、話しかけてやり、ねぎらってやらねばならないような存在と、どこかで勘違いしていました。
でも、
彼らは、自分より、ずっと強くて大きいのだ。
そんな彼らを信頼して、安心して守ってもらうのが、ちゃまの仕事ではないのか。
初めて眷属の話を聞いた時、自分のような者が滅相もない、と、戸惑い、畏れたものでした。
でも、自分のような者だからこそ、神さまに守ってもらわねば、ろくすっぽ生きて行くことも出来ないのでした。たった一歩、歩き出す勇気をさえ持てないのでした。
こんな、何の見込みもない者を、もし本当に、好んで守ってくれる存在があるというなら、それは、なんとありがたいことだろう…。
ちゃまは、この時初めて、いてくれるものなら、キツネさんに、いてほしいと思いました。
それは、源九郎さんから贈られた、大きな大きな愛だと、ようやく「わかった」からです。
涙がワッと溢れてきました。
大国主西神社。(西宮神社の境内社。)
風が、ゆったりゆったり吹いています。
ちゃまは、その風に、西宮神社の神さまたちの、おおらかな、明るい微笑みを感じていました。
神さまのことは、神さまに聞くのがいちばんいいのだ。(神の言葉は、一切聞けてないが?
)
神さまは、こんなひとつひとつの出来事を通して、未熟なちゃまを育ててくれているのかもしれないなあ。
すっかり元気になったちゃまは、また、調子よく笑ったのでした。
~おしまい~
次回は、眷属騒動?の中で起こった、ちょっと不思議な出来事を。
楽しみに待っててね
いつも来てくれてありがとう

