はあ~(〃´o`)=3
今日は、書くのがたいへんだったよ…
←先に書いたものがあったんだけど、読みづらいのでボツにしました😭


当たり前だけど、神さまとか、見えない世界のことって、ホント、書けないチーン



まあ、ちゃまにだって、時には、


一筋の光が静かにスーっと降りてくるようにして、


あ、ここの神さまって、こんな感じなんだなうさぎクッキー


とわかることとか、


風に意識が乗ってるのをキャッチすることとか、


突然

ばんっ!‼


と現れた、ものすごいデッカいお顔に、きゃあハート😆ってなることとかもあるけれど、



基本的に、視える・聞こえるタイプではないので、それらしい事があっても、普段は



何かが、わーっと来て、何かして、帰って行った。


としか、わからないのよね。





だから、それを、

私はスサノオノミコトより剣を授けられたキラキラ


とかいうふうに、←例えばですよ わかりやすくイメージ変換して受け取れる人が、

めっちゃ、うらやまCーわぁハートと憧れてたの。



でも、この伊勢の旅で、見知らぬ男性に連れていってもらった場所は、神社のように、誰かが祀られている場所ではなくて、

だけど、その辺の神社や、いわゆるパワースポットどころの話ではない、まさに「聖域」、

聖なる土地

だったんだよね。(スゴいところって、なんか、風がちがうよね)


というより、神社で感じる神聖さとは、場の質というか、個性というか、在りようが、ぜんぜん違ってたのだよ。
(伊勢神宮では、昔から、大事な行事の前には、その聖域で、まず、祭祀を行ってるんだって)





でね、このごろ、ちゃまは、思っていることがあるんだけれども真顔





そりゃあ、自分の世界に、

白いお髭のおじいさん


が登場してくれたら楽しいだろうし、


スサノオノミコトに


そなたにこの剣を授けよう炎
←他に例はないのか


とか言われたら、確実に、自尊心をくすぐられ

て、でれでれして酔っ払い、ムフムフするデレデレ自信は

あるけど、でもまあ、その世界、「自分には」


あってもなくても、どっちでもいいよねルンルン






そういうふうに思い始めた最初のきっかけが、

今から振り替えってみると、この聖域での体験

でした。
(元々、スピリチュアルとは無縁に生きていたので、神さまって喋るんだって~!とか騒ぎ出したことじたい、一過性のマイブームだったと言えるけれども💦)



稲佐の浜にて。



神さまって、その場の空気感。(←ちゃま調べです)

エネルギーと言ってもいいけど、そう言うと、

途端に何かが遠くなるから、ふつうの言葉で、

「空気感」と言うよ。


その空気感をひたすら感じているだけで、勝手につながってくし、そこにあるのは、言語以前の世界での、静かな交流・循環だけなのだ。






ちゃまは、この、しめ縄も鳥居もない、聖域で、


「存在する」って、力なんだな…


と思いました。

それは、力強いとか優しいとか、ピリピリくるとかの、感覚や体感に訴えてくる力ではなかったの。



むしろ、一切の主張なく、


ただ「在る」。


在る「だけ」です。



けれども、その「在る」ことの巨大な力と美しさが、その聖域には、静かに満ちていました。



存在、というのは、どんなに力強くても、「我」ではないから、押し付けがましくないの
よね。


神さま、と呼ばれるものも、ほんとうは、そよ風や、水の流れや、月の光のように、ただ静かに、そこに在るものなんだろうな、と思いました。


風は、ただ風であり、風であることが、神であること。




神さまとは、だから、わたしたちが思う以上に、そっと親しく、そばにいるんだようさぎクッキー




読んでくれてありがとう