今日は、八坂さんに行ってました。
その記録は、明日にでも書くとして…
ひとまずササッと、前々回からのつづきです
ちょっと疲れてるから、ヘンな文章になったら
すみませぬ。
冒頭の説明部分↓、もし退屈なら、写真の下の「まとめると」ってトコから読んでね
道真さまが、無実の罪で大宰府に流され…
道中、付き従っていた度会の一族と、お別れするとき、
これからは、この名を名乗れ
と、一族に贈ったのが、白江という名字でした。
(だから、綱敷天神社の神職の名前は、度会でなく、白江)
度会の長である春彦氏は、道真さまとともに、
大宰府に渡りますが、
白江一族(元・度会一族)は、大阪に残って、道真さまを待ちます。
←この先は、苦しい暮らしになるから、君らはもう、ついて来たらアカンって、道真さまが言ったのね
しかし、道真さまは、大宰府にて死去。
白江の一族は、別れのその地に、小さな祠を築き、梅塚と名付けて、道真さまを偲びました
なぜ梅塚と言うかというと、大宰府に向かう道中、道真さまが、その地に咲く一本の紅梅を愛でられたからでした。
後に、道真さまは、名誉を回復し、立派な社殿に祀られますが、
その祭祀の始まりは、白江氏の祀った梅塚です。
神社となった梅塚は、やがて、綱敷天神と呼ばれるようになりました。
そして、今日に至るまで、綱敷天神社の神職は、度会春彦氏の子孫、白江氏が務めています…
(ちゃまの記憶をもとにした要約です)
まとめると、
綱敷天神社は、度会の一族が、大宰府に向かう道真さまと別れ、その死後、道真さまを偲んでお祀りを始めた地なのでした。
何も知らずに通っていた、あの梅田の神社(綱敷
天神社)は、度会一族にとって、そんなにも大切
な場所だったのか…
←ちゃまの鈍感な感性では、そんな事情は、みじんも感じ取れなかったが
ちゃまは、調べものをやめて、地元の天満宮に急ぎました。もちろん、これまで一度も参拝したことのなかった、白太夫社に挨拶するために。
お参りの帰りがけ、猛烈に、
伊勢神宮に行きたい!
という思いが湧いてきました。
白太夫氏(度会春彦氏)は、もともと伊勢神宮・外宮の神官だったそう。
そして今も、外宮には、遠い昔より代々神宮に仕えてきた度会一族を祀った、小さなお社があると言います。
白太夫氏をお参りするうちに、ちゃまは、外宮にあるというそのお社に、どうしても参拝したくなったのです。
よし、神宮に行くゾッ!
ちゃまは、翌朝、いちばんの便で、伊勢に向かいました。
~つづく~

