アド・ベンチャー・レース DIARY

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趣味の耐久系レース、トレーニング、他印象にのこったトピックをお伝えいたしま~す。

参加予定レース

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12月15日(日曜日)

 

晴天のなか、第2回川崎国際EKIDENを、無事開催することができました。

 

関東の冬は晴天が多いものですが、それでも、何よりも当日の晴天に大感謝でした!

 

大会の結果は、HPに記載されてます。

https://kawasak-international-ekiden.jimdofree.com/

 

感想は以下にあげました。

FB

https://www.facebook.com/search/top/?q=%E8%8A%B3%E5%B7%9D%20%E5%8D%9A%E8%A1%8C%E3%80%80%E5%B7%9D%E5%B4%8E%E5%9B%BD%E9%9A%9BEKIDEN&epa=SEARCH_BOX

 

駅伝は成功しましたが、本ブログは、多々あるその  裏話を中心 に記載してみました。

 

少々長いので、結果だけ知りたい方は、上記HPかFBをみてください。

 

 

本文

 

7月7日の、ラッキーセブンディスタンス陸上競技大会が、天候含め、ちょっと(!?)アンラッキーな事柄が続き、参加の方々に、ご不便をおかけしてしまいました。

 

主催者たる自分の運に対して、すっかり自信を失ってましたので、晴天がとても嬉しい限りでした。

 

どんなにチーム数が集まっても、どんなに素晴らしいゲスト選手が参加しても、運営を周到に完璧に準備しても、むき出しの広場である会場が、真冬の冷たい豪雨に襲われては、すべて崩壊です。

ランナーに辛すぎます。

 

実際、12月に入って恐ろしく冷たい豪雨が何度かあり「こんな雨に襲われたらすべて終わりだ、、」。

なので、当日朝は、万歳したい気分でした。

 

とにかく、当日の晴天が、もっともラッキーだったことですが、さらに大会前にラッキーな事柄がふたつありました。

 

ふたつ目のラッキー

 

8月にNHKBS1のランニング番組「ラン×スマ」担当ディレクターから電話があり、

「12月の川崎国際EKIDENを取材させて欲しい」というのです。

まだ一回しか開催していない実績の乏しい駅伝なので、不思議でしたが、もちろん歓迎です。

 

HPをみて興味をひかれたということです。

https://kawasak-international-ekiden.jimdofree.com/

 

HPはすでに今大会の結果が出てますが、当然、大会前ですから、今回の結果がでる前の内容です。

 

第一回の詳細なレース結果と、当日の画像や動画が豊富に入っており、どんな駅伝か雰囲気をつかみやすかったからのようでした。

 

デザインはしょぼいですが、コンテンツを詰め込んで良かったです。

 

 

後日、渋谷のNHKに打ち合わせに出向くと、驚きの企画を知らされました。

当初「ラン×スマ」の企画チームが一般参加するということでしたが、その明かされたチームメンバー、以下。

 

金哲彦、藤原新、猫ひろし、エリックワイナイナ、川内鮮輝、土佐礼子、渋井陽子

 

このメンバーで市民駅伝に参加して優勝を目指そうという企画です。

監督は、金哲彦さん。

 

独走優勝しては面白くないので、スリリングに優勝争いのできる、比較的レベルの高い市民駅伝を探していたそうで、また全国高校駅伝と同じ構成が良い、ということで、金さんが選んでくれたとのことです。

 

しかし、このメンバーの参加は公開しないことを要請されました。

公開すれば、多分、参加チームが増えます。

公共放送たるNHKは、民間駅伝の宣伝には加担しないというのが理由です。

 

ランスマチームは、ゲストではなく、通常応募の一般参加チームだから、どんなチームが参加するのか事前発表するのは、主催者の自由ではあるはずですし、NHKが直接、駅伝の宣伝をするわけではありません。

 

しかし、だからといって勝手にメンバーを発表したら、不参加になるかもしれず、約束もあるので、当然、当日まで、このチームの参加発表はしませんでした。

 

しかし、エントリー締め切り後までもの発表不可には疑問。

スター軍団だから、全体チーム数は増えなくても、見物したい観客が多く来た方が盛り上がり、ランスマランナー含め、たくさんの人に喜んでいただけると思うのですが。

 

いずれにしろ、当日はサプライズで、開会式に一般参加チームではありますが、特別に登壇していただき、おのおのスピーチしていただき、参加ランナーに喜んでもらうことができました。

 

開会式動画

https://www.youtube.com/watch?v=QjGULQACgZU&feature=youtu.be

 

 

みっつ目のラッキー

 

代替会場が見つかったことです。

 

台風19号による多摩川の河川敷災害で、川崎市から、大会中止命令が下されました。

 

そこで、急遽、代替コースを探しましたが、これがまた大変でした。

多摩川の神奈川県側、すなわち川崎市側は、当然全コースが不可。

 

多摩川の東京都側は、現実的な近場では、世田谷区と大田区の管轄になります。

 

世田谷区管轄のコースは、二子玉川公園あたりが会場に想定でき、コースも立派に走れるのが確認できました。

しかし、許可願いを出したところ、「世田谷区の後援する大会以外は一切、認めない」とのことでした。

理由は「そう決まっているから」とのこと。(それ、理由になるの?)

 

その上流の府中市、狛江市や、下流の大田区は、普通に民間大会は認めているのだし、マラソンコースは上流下流、全部つながっており、間に位置する、世田谷区だけこのようなルールを設けるのはおかしなことです。

 

条例を調べると何も記載がなく、ますますおかしいのですが、戦っても時間のムダなので、大田区へ。

 

 

大田区管轄のコースは、蒲田の六郷の陸上競技場発着で、物理的には開催が可能でした。

許可願いをすると、コース担当の方からは、開催許可をいただけました。

 

しかし、陸上競技場担当、すなわち六郷公園担当の方からは、開催不可。

 

陸上競技場は使えても、他の公園部分はまだ土砂に埋まり、民間に貸せない状態なのが理由だというのです。

広大な六郷公園の公園の、全てが復旧してから、いっせいに貸し出し許可をすることになっているとのことでした。

 

そういう理由で、税金で作られた、現在使用できる状態の施設を、市民に使わせない、、。

これもおかしなことですが、戦っても時間のムダなので、横浜市へ。

 

 

 

新横浜公園は、すでに他の駅伝大会の開催が決まってました。

 

横浜市でないですが、立川の昭和の森記念公園も、皇居も、他の駅伝が入ってました。

荒川は、検討可能でしたが、離れすぎ。

 

横浜市の調査対象コースは、鶴見川の河川敷です。

 

右岸も左岸も、コースのレース開催はOKでした。

しかし、会場が問題です。

 

左岸は、数百人の参加者を収容できそうな広場が、一ヶ所だけありましたが、すでに野球の予約が入ってました。

 

右岸は、毎年春に行われる、伝統ある横浜駅伝の会場、広大な樽町公園はすでに予約ですべて埋まってました。

 

そのはるか下流に広場がありましたが、駅から徒歩30分はかかるので、参加者にはキツイ。

新横浜駅前公園は、当日に川崎月例マラソンがあり、ふさがっている。

 

 

 

他に広場がないか走り回り、新横浜駅前公園と樽町公園の間に、青少年スポーツ広場というのを見つけました。

 

調べると管理者は、横浜市から委託された民間ですが、個人でなく、少年野球チームの運営メンバーだそうで、

皆で会議を開かないとならないとのこと。

 

これ以上は探しようがなかったので、この時点で諦めかけました。

 

少年野球チームにとって、貸し出しても何もメリットないどころか、野球ができない。

そういった会議では、一人でも反対者が出れば、許可を降ろさないものです。

 

千葉の印西市や、世田谷区、大田区など、行政の判断パターンが読めてきていたので、ギブアップの覚悟を固めました。

 

数日して電話連絡すると、「特別、許可しない理由はないので、使用はOKです」とのことでした。

 

驚き、喜びました。

委託された人たちが、民間人だったからかもしれません。

 

実は、川崎市から、コース使用の中止命令が発表されたとき、すぐNHKから連絡がありました。

 

「金さんがどうしてもやりたい」と熱望しており、NHKランスマ独自で、急きょ駅伝大会を立ち上げるべく準備を始め、すでに会場探しを始めたとのことでした。

 

そして、「会場が確保できた時は、すでに川崎国際EKIDENにエントリーしているチームリストを譲って欲しい」。

金さん名で「一緒に走ろう」と呼びかけたいそうです。

 

それは、川崎市からの中止命令があれば、自動的に川崎国際EKIDENも中止になると予想してのものでした。

 

しかし、いくらNHKとて、11月の時点で、12月の駅伝開催の会場を見つけるのは容易なことではありません。

あちこち、台風災害で使えません。

使えるところは、すでに予約は入っているはずで、ほぼ無理です。

 

 

そこで私が本気になって代替会場を探し回ったわけですが、予想通り困難極め、最後の最後で会場を確保できたわけです。

たまたま、あちこちのコースや会場を多く知っていたおかげだと思います。

 

代替会場が見つかったのは、自分で書くのも何ですが、粘りつよく頑張れたからでしょう。

ただ運が良かっただけではないです。

しかし、、いくら頑張っても結果が出るとは限らず、どんな努力も絶対に不運に勝てません。

やっぱり運の手助けがあったと思います。

 

ということで、当日の晴天含め、三つのラッキーが続き、第2回川崎国際EKIDENは成功しました。

 

 

 

 

回帰理論

 

運を科学的に研究する学問がありまして、その中に「回帰理論」というのがあります。

 

いかにも難しそうですが、要は、運不運は全体では皆、平均、平等であり、時間を重ねれば、運は皆、平均的に落ち着くというものです。まあ、数学の確率論と同じです。

 

7月の陸上大会が、不運の連鎖だったから、12月の駅伝は、運が平均的に収まるよう幸運に恵まれ、私の運が平均的に回帰したというわけです。

 

この回帰理論、これでは人間、寿命が来た時は、全員、運不運が同じにならなければならず、世の中、そんなことになっていないのは自明の理。

 

しかし、不運が重なった時には、次は必ず幸運が来ると希望をつなげられるし、幸運が重なった時は、次の不運に備えて油断しないなど、良い考え方だと思います。

 

 

ということで、前ブログの「ラッキーセブンディスタンス陸上」とのセットのような、

「ラッキー論の考察ブログ」になりました。

 

肝心な駅伝の結果は、本ページ上のHPやFBアドレスからというわけですが、あちこち閲覧するのは面倒な方に以下です。

 

 

●全総合順位

 

昨年第一回の優勝タイムを、9チームが突破しました。

10位が前年優勝と同タイム。市民駅伝としては、破格のレベルです。

 

これは会場が、完全フラットの全面舗装の高速コースであること(強風でしたが、、)

荒川での開催予定だった、大学対抗駅伝が、台風災害で中止になり、大学チームが多く流れて来たことによるかもしれません。

 

以下総合順位

https://kawasak-international-ekiden.jimdofree.com/42-195km%E9%A7%85%E4%BC%9D%E7%B7%8F%E5%90%88%E9%A0%86%E4%BD%8D/

 

●優勝争い中継&ランスマチーム帰趨

 

https://kawasak-international-ekiden.jimdofree.com/%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B9%E7%94%BB%E5%83%8F-%E7%89%B9%E5%88%A5%E7%B7%A8%E9%9B%86/

 

●参加チーム数

 

72チームから126チームに増えました。

新たに3名ハーフ駅伝と、4名ハーフ駅伝などメニューを増やした結果だと思います。

 

 

さらに裏の裏話

 

すべてが順調だったかといったら、そうではありませんでした。

 

トイレも水道もない会場なので、仮設トイレ4台と、給水、水洗用に、20ℓポリタンク15個の水と、トイレットペーパー30個用意しました。

 

しかし、途中で、水洗の水やペーパーの不足報告が相次ぎ、走り回り、ボランティアの方々にも指示して動いていただいたのですが、補充しても補充しても追いつかない、、。

実は運営中に、レースを観察、堪能している余裕などなく、そんなレベルの事で悩んでばかりいました。

 

それが現実。

 

台風で使用禁止になった多摩川コースは、トイレも水道も十分あるので、もともとトイレ管理のノウハウがありません。
そこで、今回は仮設トイレ業者にアドバイスを頼んだのですが、全く役立たずでした。

突然の驚愕の想定外。

 

台風被害の影響が、トイレ騒動にまで及んだわけです。

 

ギリギリ、どのトイレも最後のペーパー1個だけ残し(!)

水洗水を使い果たした瞬間に大会が終了し(!)

クレームなく、多分、、犠牲者なく事なきを得ました。

 

実は、これこそ一番の奇跡的なラッキーだったのかもしれません。

 

 

ランスマ放送は、なんと国際マラソン放送級の、工藤三郎アナ、増田明美さんの解説で行われました。

まあ、本駅伝は「国際」EKIDENではあります。

 

 

 

 

 

ラッキーセブンディスタンス陸上競技大会は、今年の7月7日、開催できました。

 

その後半月「残務処理」が超絶に大変で、本大会をブログに記録する気力が失せていました。

 

ブログを尻切れトンボに終わらせたくないということもありますが、大会の「裏事情」を記載した方がいいかなと考えまして、半年ぶり以上で、こちらに投稿します。

 

 

大会結果、画像、動画は、下記HPに詳細に記録しました。

 

https://lucky-seven-distance.jimdofree.com/

 

 

FBに「グレイトスマイル画像集」として、50点のランナーの喜びの笑顔を

掲載しました。

 

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=2349071555172285&set=pcb.2349081985171242&type=3&theater

 

上記を見れば、大会は大成功したように見えます。

 

しかし、、

 

本大会は、7年連続で住みやすい街、日本一に選出された印西市で、7月7日、7並びばかりでに開催されました。

種目は、77.7m、777m、7770mのオールセブン。

 

東京方面から大吉方位であり、地元の神社に何度も成功祈願し、準備にあたって「777」に遭遇することがあまりに多かったので、大会は、大ラッキー、大幸運に恵まれ、大成功は間違いないと確信してました。

 

実際、レースは実行され、全ての種目に優勝者、入賞者が出て表彰され、多くの「世界記録」保持者が誕生し、多くのランナーに喜んではいただきました。

 

大会は、予告宣伝通りに成立したので「成功」といえなくもないのですが、私個人の内面の基準では、とても成功とはいえないものでした。

 

当日は、あいにくの雨。

 

今年の7月の梅雨は徹底的で、関東はほぼ毎日のように雨でした。

この日がたまたま悪天候だったわけではないですが、この日だけは晴れると信じてましたので、驚きました。

私は比較的、晴れ男です。

 

前泊し、会場に一番乗りし、準備万端で、審判員やボランティアの到着を待っていたとこ、スマホに電話がありました。

 

「京急線で人身事故、印西市への電車がストップ」!!!

 

、、、唖然。

 

印西や柏、船橋など、地元千葉県からのスタッフは問題ないですが、大部分がボランティア。
人数の半分以上をしめる東京、神奈川からの公認審判員が駅でストップしているのです。

 

審判団との打ち合わせ予定時間に、数名の地元審判しかいない。

 

電車が何時間も動かず、他の審判員が到着しなかったら、開催は不可能です。

こんなことは、事前に想定できませんでした。

 

それでも1時間くらいで、電車が動き出し、審判団が大幅に遅れてですが、会場入りできたので、一応「ラッキー」なんでしょうか?

 

 

それまで、数少ない人員で、備品を出して整理し、横断幕やノボリ掲揚など、バタバタと作業に追われ、ボランティアの方々への説明がまったく十分にできないまま、受付開始時間になりました。

 

選手は続々入場し、すでに何十名も列になってます。

 

 

まだ、受付担当予定の審判員はゼロだったので、私とボランティア2名で、急遽の対応をしました。

 

ナンバーカードやプログラム、参加賞などは、先にダンボールから取り出して、効率よく渡す予定だったのが、まったくできておらず、すごく手間がかかりました。列はどんどん長くなりました。

 

しかも、ナンバーカードの安全ピンが見当たらない!

これは、前日に確認していましたが、なぜか無い。混乱の中で、何かに混ざり合ってしまったようです。

これは、別に管理していた、腰ナンバー用カードに付いていた安全ピンを外して渡すことで、危機を脱しました。

 

しかし、この時点で、もう選手の方々には「対応が悪い」と映ったことでしょう。

 

受付途中で、審判員が続々到着し、受付を変わってもらいましたが、目の前の選手対応をしなくてはならないので、仕事の説明などできません。そして、受付に要している時間が大幅に伸びてます。

 

いつの間にやら、開会式予定時間が過ぎてました。

選手一同から、いつ開会式が始まるのか、視線を感じます。

 

それでもこんな場合、選手に事情を説明し、開会式をさらに遅らせて、審判員、ボランティアに十分な進行説明、担当説明をするべきでした。

実際、遅れて開会式を始めようとすると、副審判長から「審判員で集まろう」と言われました。

 

しかし、全体の進行をこれ以上遅くスライドさせると、この競技場と印西駅の間の最終バス時間が早く、そして本数が少なく、選手もスタッフも帰れなくなってしまうのです。

 

実は事前に、印西市営バスに、バスの増便をお願いしたのですが「市営のバスなんだから軽々しく増便はできない」と、理解し難い理由で、断られていました。

レース開催により、バス収容力が足りないから増便するのは、どんなレースでも常識なのに、それに応じない印西市営バスの存在は不運でした。応じてもらっていれば、進行の先延ばしは可能でした。

 

すでに、時間が大幅に遅れている。

 

苦渋の決断で、開会式を強行しました。

 

 

審判、ボランティアの仕事は、写真判定、コース計測、選手整理、スタート、周回、風速計測、給水、記録証発行、賞状発行、表彰など多岐に渡りますが、個別の担当に、私から直接レクチャーする時間が取れない。

 

 

しかし、全体を知る私ぬきではありますが、開会式の間、審判員のみで打ち合わせはしてました。

ボランティアへの指示はほとんどできませんでした。

 

 

本レースは、普通の記録会と違い、世界記録、日本記録、県記録、市内記録を、年齢別に細かく順位づけするので、独特のカード方式で、人間が判定するシステムにしていました。

 

フィニッシュ直後に、MCがすぐに世界記録のコールをできるように、戸外テントの中でカード整理判定をするようにしていたのですが、天候が悪化し、冷たい風雨が吹き荒れはじめ、テントのカードを全て吹き飛ばしてしまいました。

 

カードを拾い集め、内部の作業室に移動して、作業に入りましたが、ここでまず、記録証発行が大幅に遅れる、第一の原因になりました。

 

 

さらに、、

 

これは不運とは定義できないかもしれませんが、順位を自動的に算出するプログラムにバグがあり、間違った順位が印刷され、張り出されてしまったのです。

 

当然、大クレームがあり、調べて発覚しました。修正できなければ、アウトでした。

これも不幸中の幸いですが、プログラムしたメンバーがその場にいて、修正してことなきを得ました。

 

しかし、プログラム修正時間分、また記録発表が遅れました。

記録証、表彰状発行も遅れました。

 

またその発行用のPC2台のうち、プログラム修正に1台さき、そのまま順位判定専用PCにしてしまったため、さらに記録証発行時間が2倍になりました。

 

 

7月7日だというのに、冷たい風雨で、歯がガチガチするほどで、一部の選手たちはイライラしてました。

バスが少ないことはわかっていたので「これ以上待っていられない」と、早く帰りたがっていた人は多かったように思います。

いつもの年のように、暑ければ、そんなことはなかったと思います。

 

なかなか発行されない記録証、なかなか始まらない表彰式に、多くの選手がイラつき、プロデューサーの私に、呆れた口で抗議してくる人、不審の目で睨んでくる人もいました。

 

あまりに「早くしてくれ」のクレームが多く、現場ボランティアの判断で、手書きの記録証を発行し始めましたが、「手書き」に嘲笑する選手もいました。

 

これらの記録判定、記録証発行現場のトラブルの事情は、クレーム続出してから知ったことです。

 

 

私は、あくまで全体管理が仕事で、何も具体的な担当作業はいれてませんでした。

 

 

しかし、スタート選手整理や給水用意、選手インタビュー、表彰式対応、BGM管理、指示、ビール販売(寒くて売れなかったがに終われ、一日中ダッシュで走り回ってました。

 

 

いるべき場所に、審判がいない、やらない(全部ではないですが)、

いるべき場所に、ボランティアがいない、やらない(全部ではないですが)。

 

指示が徹底できてないのだから、やむおえない面がありましたが、やる事がわからなく、暇で、会議室で談笑する審判、ボランティアもいたようです。

 

 

7770mは、19周ちょっとするのですが、周回のベテラン4名に担当してもらいました。

 

 

しかし、「2周多く走らされた」とか、数名から私にクレームがありました。現場で審判員に抗議したとこ「絶対に間違ってない」とハネつけられたそうです。

 

今は皆、GPS時計をつけて走るから、距離違いがわかり、証拠とさえなります。なので、クレームは正しいのでしょう。

(GPSの数値は操作できるが、そんなことする動機はないですね)

 

しかし、審判員の立場になって考えると、ミスを認めてしまえば、どう責任を取っていいのか?

それは多分、審判長の判断することでしょうが、スポーツに誤審はつきものです。

ミスしても大会全体の成立を考え、「認めない」という判断もやむおえないのかもしれません。

 

もし、私がGPSの数値を証拠として、審判長に相談もせず、審判のミスを認め、勝手に謝罪したりすれば、以降、審判団は私に協力しなくなるでしょう。

 

なので、周回ミス発生と、そのスルーは、とても残念としか言いようがありません。

一部の選手の方に、不快な思いをさせてしまいました。胸が痛みます。

 

 

もともと、7770mは、陸上競技場を出て、公園に入り、公園から出て農道を走る、1周3.9kmのコースを2周する設定を考えてました。しかし、印西市役所からそのコースの許可が降りなかったのです。

 

そのコースだと、市役所内で3つ部門に縦割り管理されてます。

 

陸上競技場   印西市スポーツ振興課

公園内部ロード 印西市設備課

農道      印西市土木課 印西市警察署

 

陸上競技場と農道には、使用許可が降りました。

 

しかし、印西市設備課が、わずか100mの公園内部ロードの使用許可を降ろしてくれないため、3.9kmコースでの開催が実現できなかったのです。

 

理由は「貸した前例がないから」。

 

スポーツ振興課も、土木課も、印西市警察署も、貸す許可を出しているのに、、。

 

散々粘って、設備課から「市の後援大会なら考えてもいい」と言われましたが、それを判断するスポーツ振興課からは「初開催で、実績がないから後援は出せない」。

 

後援を出さなければ、公園ロードを使えないのはわかっているのに。

 

結局、スポーツ振興課と設備課で結託して、3.9kmコースを走らせないようにされたようなものです。

私には、人間の正常な判断だと思えませんでした。(笑)

 

バス増便を断られたように、印西市役所の一部の担当部署は、お役所仕事の最低判断の好事例になるようなものです。

 

ロードを実現できていれば、周回違いのクレームなどなかった。

 

印西市で開催したのが不運だったのか?

 

しかし、印西市でしか競技場を借りられなかったのだから、そうもいえない、、。

 

 

結局、大幅に時間は遅れましたが、全種目の表彰式は終えることができました。

 

最後の表彰式では、多くの選手がバスに間にあわせるべく帰ってしまってました。

胸が痛みます。

 

残っていたのは、大体が車で来た選手です。

 

 

記録証は、数十名分の発行が間にあわず、希望者には郵送、それ以外の方にはHPがダウンロードできる体制を整える約束をして、日程は終了しました。

 

残念だったのは、以上のような多くの不運が原因だとわかっているはず(わかってないか、、)の審判、ボランティアの一部が、競技の遅れにイラつき「まだ終わらないのか!」「もう帰っていいか!」と怒鳴ってきた人がいたことでした。

 

私の中では、あくまで選手に喜んでもらうこと、不快な思いをさせないこと、早く記録証を渡して帰ってもらうことが最優先で、審判、ボランティアにも早く帰ってもらおうなどど、気を回す余裕はまったくありませんでした。

審判、ボランティアは仲間だと思ってましたから。

 

結局、バス時間までに発行できなかった記録証は、担当審判が残業するとか、後日に仕事するとかはなく、その時点で全ての仕事の放棄宣言をされて、帰ってしまわれました。

残りは、主催者である私がやりなさいという事です。

 

残り100枚近くの記録証は、翌日以降、私がコツコツ作り上げて、HPにアップしました。

種目と名前と記録があればいいというものではなく、年代別に日本で何位なのか、県で何位なのか、市で何位なのか、一人一人数えなければなりません。大変な作業時間でした。

 

最終成績表、公式カメラマンに頼んだ動画、画像のアップもしなくてはなりません。

それで、半月くらいかかったわけです。

 

世界初の「ラッキーセブンディスタンス」の競技会は、「無事成立」とはいきませんでしたが、なんとか「成立」はしました。

 

何事にも「初」がつくものが生み出されるのには、生みの苦しみがあるということですかね。

 

 

易経に「陽極まって陰となす」とあります。

 

陽が究極に極まると、瞬間に陰に転じるということです。

 

まさにこの日は、事前に、あまりにラッキーな条件が揃いすぎた結果、「ラッキー極まってアンラッキー」になってしまった日でした。

 

でも大会を実現できて、多くの記録が残ったのは事実です。

やらなければ良かったとは、まったく思いません。

 

画像中の私は、笑顔でいることが多いですが、あまりにの不運続出に、呆れ果て「笑うしかない」という状況でした。

内面は、崩れそうな運営をなんとか立て直すのに「必死」でした。

 

スケジュールが全て遅れているのに、ヘラヘラしているように見える私に、ハラを立てた人は結構いたかもしれません。

 

来年は、融通がまったく聞かない印西市では、許可を得られても開催はしません。

選手に迷惑です。

 

もっと交通の便の良い競技場で開催したいとこですが、東京オリンピックがあるので、まず場所は取れないでしょう。

 

なので、もし第2回をやるとしたら、再来年の2021年になりますが、とりあえず未定としておきます。

 

これで、本ブログは終了。

 

やっと「ラッキーセブンディスタンス陸上競技大会」に関わる、全ての「仕事」を終了することができました。(笑)

 

 

LSD(ラッキーセブンディタンス)陸上競技大会の宣伝をさせていただいちゃいます。

 

本大会の距離種目は世界初なので、各種目の優勝者はそのまま世界記録と認定されます。(権威はちょっと低いですが、、笑)

来年以降、第2回以降の優勝記録は、過去の大会全ての優勝記録を上回らないと世界記録にならないため、第1回の今年が最も世界記録を出しやすいといえます。

 

また全体優勝でなくても、年代別に細かく記録認定しますから、下位の方でも年代別の世界記録保持者になる可能性があります。
 

世界記録でなくても、県記録、市町村記録も認定します。なので例えば「50歳以上の川崎市中原区記録保持者」と細かく認定するので、非常に多くの方が「記録保持者」となります。しかし、来年以降の新たな誕生は、毎年半減し続けて行くと思われるので、今回が最も容易です。
(回数を重ねると記録の権威は上がります)

 

来年以降破られても「元世界記録保持者」の称号は一生変わりませんので、生涯の誇りになります。

また世界記録を今回出すことができなくても、来年頑張れば、手が届くかもしれない。既存の陸上競技の種目で世界記録を出すことなど不可能です。

 

ランナーが新たな目標と夢を持てる本陸上競技大会です。

7月7日(日)

 

新たな陸上競技大会、「ラッキーセブンディスタンス陸上競技大会」をプロディースすることになりました。

距離種目はラッキーセブン、いわゆる777、スリーセブンにちなんだ以下3種目です。

 

77.7m 777m 7770m

 

 

さらに、3種目複合も設けるので、全部で4競技になります。

 

HP

https://lucky-seven-distance.jimdofree.com/

 

もともとそんな競技会があったら面白いねと、仲間と話してましたが、今年の曜日まわり、7月7日が日曜日。

 

「今年実行してみないと後悔する!」と思って、参加ランナーがどれほど集まりそうかは何の計算もなく立ち上げました。

 

陸上競技の距離としては初めての試みなので、優勝記録は「世界記録」です。(爆)

優勝でなくても、年代別でトップだったら年代別世界記録です。

 

男女別はもちろん、県記録、市記録も同様に設定します。

高校記録、中学記録、小学校記録も認定します。

ベスト10など、ランキング表も発表します。

 

初回から、各種目の優勝者はすべて「世界記録保持者」

 

そんな半分冗談、ジョークとしてゲームのように楽しめる方が対象ともいえます。

 

また、当然ですが、回数を重ねるほど、競技としてのレベルや価値が上がってくるはずです。

 

周囲のランナーで面白いと言ってくれる人は多いですが、なにせ初開催、実績未知です。

多くの人に様子見されてしまっては、来年以降の開催もかなわない、、。

 

このブログを読んでいただいてる方は、お誘い合わせの上で、ぜひぜひご参加いただきたくお願いします

トラックの脚自慢アスリートはもちろん、フルマラソン好きな方にも夏季練習のセット練習として最適です。

 

並行してボランティアも受け付けてます。

 

チラシ、ポスター拡大

 

 

別大マラソン欠場から、一ヶ月半もブログ未更新でしたが、古河はなももマラソンに向けて一応走ってました。

 

坐骨神経痛は「治療」をやめたら治りましたが、ノーラン日数長く、体調は昨年のマラソンシーズンはじめに逆戻り。

まあ、マラソン調整でやることは決まっているので、淡々とこれまでのトレーニングパターンを再開。

 

では、それで元に戻るかといったら、甘くない。

とにかく心肺機能がどんどん落ちていく。間違いなく加齢の影響です。

インターバルでスピード強化しようとして心拍数をメいっぱいあげても、とにかくタイムが悪い。

 

そこで、心肺のハンデを少しでも取り戻そうと、あえて冬季峠走やランジ歩行を取り入れ、脚力強化し、

体幹も鍛えてのぞみました。

 

3月10日

 

 

前週の東京マラソンが、雨で低体温症続出。

 

このレースの翌日の予報が雨なので、予報が外れて雨天になることを見越して、低温装備を充実させて会場入りしましたが、晴天、しかもアップ時にはあたたかい。

 

スタートブロックでは、後頭部の首筋がジリジリと太陽に炙られて暑い!

 

ゲストランナーの千葉ちゃんが、

「皆さん、暑さに慣れてないから、気をつけてください!給水をしっかり取ってください!」と絶叫。

 

前後左右のランナー、皆、突然の高温に戸惑い、不安顔でした。

 

 

スタートロス3秒

 

スタートと同時にすぐノドが乾きました。

でも5kmまでは給水はないだろう。早くも緊張モードに。

 

レースに出る限りは、少なくとも、今期最高は出したいということで、ちょっと大胆に2時間52分の可能性を残すラップで入りました。キロ4分5秒〜6秒。もちろん無理のないペース感覚範囲で。

 

5km    20分27秒

 

給水は7kmぐらいの地点。

滅茶苦茶ノドが乾いてたので、紙コップ3杯給水しました。半分溢れるから1杯半くらいではありますが、

給水すると本当に呼吸が苦しくなるので、序盤からキツイ!

 

それからエイドのたびに大量給水しました。

してもしてもノドが乾く、、。

 

10km  20分28秒 

 

ここまではペースが楽に感じてましたが、同じ余裕感覚で走っていると、キロ1〜2秒落ちていく。

キロ4分5秒〜6秒を守ろうとすると、少し心拍数をあげなくてはならないから、きつくならないよう、

自然に身を任せます。

 

15km  20分41秒 

 

キロ4分8秒が余裕ギリギリになってしまいました。

設定タイムは出ないことを悟り、無理せずジリジリとペースを落としていきました。

4分6秒に戻せないわけではないが、そうすると30kmから地獄に転落するのは、経験上明らかです。

 

20km  20分53秒 ハーフ 1時間27分07秒

 

キロ4分10秒と、確実に落ちていく、落としていく。

30km以降に奈落のクラッシュダウンをしないペース感覚に集中。

 

25km  21分02秒

 

キロ4分11秒と、確実に落ちていく、落としていく。

30km以降に奈落のクラッシュダウンをしないペース感覚に集中。

 

30km  21分07秒               2時間04分41秒

 

キロ4分12秒と、確実に落ちていく、落としていく。

35km以降に奈落のクラッシュダウンをしないペース感覚に集中。

 

 

35km  21分31秒 

 

キロ4分18秒とついにサブスリーペースは割ってしまったが、残り距離からして、頑張ればサブスリーフィニッシュ逃げ切りはできると、やっと確信。

 

脚力はしっかり残っていて、脚筋力強化の成果はありました。

 

しかし、呼吸が吐き気を催すほど苦しい。インターバルトレーニングをいくらやってもタイムが悪く、心肺能力を十分鍛えることができなかったハンデが、そのまま出ました。これはフィニッシュまで続きました。

 

40km  22分09秒

 

キロ4分25秒

 

このラップに落ちたのが、35km以降でよかった。

前半の貯金が生きました。

 

42.195km  9分43秒 

                 2時間57分52秒 

 

正直、昨年のつくばマラソンでの2時間55分は越えれれるのではないかと、楽観していたので、がっかりではありますが、35km以降、ちょっと気を抜き手を抜いて、キロ4分30秒以下まで落としたり、歩いたりしたら、簡単に3時間を割ってしまう状況だったのはわかったので、ホッともしました。

 

連続サブスリーは39回でいいやと思ってましたが、いざ40回目に望み、走力にチャンスがあればどうしてもやっときたくなるものでした。ランナーの因果な本能です、、。

サブスリー連続回数で、次に意味があると数と思えるのは50回なので、無理。

 

この半年の心肺機能の低下を考えると、次の半年はまた、どのくらい落ちるのだろう?

 

またマラソンを走る走らないからして白紙ですが、いわゆる「ランニング」は続けるかと思います。

 

以下、とても綺麗に確実に落ちていくラップまとめです。

 

スタートロス3秒

5km    20分27秒

10km  20分28秒 

15km  20分41秒 

20km  20分53秒

25km  21分02秒

30km  21分07秒

35km  21分31秒 

40km  22分09秒

42.195km  9分43秒 

 

打ち上げは渋谷。

全員、暑さと伴う「ツリ」にやられクラッシュダウン。ボヤキで盛り上がりました。

 

 

年に一度のお楽しみ、残念ながら断念しました。

 

坐骨神経痛で、実質2週間、キロ6分30秒〜9分ジョッグしかできず、ノーラン同様。

マッサージや電気治療など、一切しない方がいいと気がついたおかげで回復の兆し?

 

別大2W前

 

 1月20日 30km 2.23.35  445ave (2310  2257   2306  2306  2540   2533 )

 キロ437でスタートできたが、走力ダウンのせいで(多分)失速。

 

別大1W前

 

 1月26日 20km 1.36.48  449ave (23.02 23.00 23.55 26.50 )

   キロ437でスタートして、416に乗り換え可能な余裕度だったが、10kmすぎて坐骨神経痛再発!(涙)

 

別大でこの痛みが出ては、3時間半ペースの関門を超えることもできないと思われます。

 

先に書いた通り、毎年別大で50分切れそうな体調に仕上げてチャレンジするのは、ヤリガイがあるし、九州旅行、登山も楽しいので残念な限りです。

しかし、仕事が忙しく(これはこれでいい)別大DNS決断で、本当に仕事がスムーズで楽になり、反面ホッともしました。

 

3月の古賀はなももマラソンに向け再スタートです。

 

坐骨神経痛はどうする、、?

多分休めば治るが、それでは、、?

 

 

 

 

マラソンシーズン真っ盛りですが、久々の更新です。

 

最後のブログで「休養ばかりでは調子が上がらない」というような内容で結びましたが、それから2週連続、土日のセット練習を敢行して、案の定、崩壊しました。

 

最近ずっとセット練習をやっていなかったのは、残る疲労が激しく翌週のポイント練習に影響するからです。

ただ、それでは無難なタイムしか出ないし、低落していく一方。

で、またセット練行ってみました。最初からダメダメでした。

 

12月29日 800×10(255 255 258 255 254 254 255 258 255 256 )

12月30日 23.5km jog  555ave 

 

30日は30km走る予定でしたが、ヤッソの脚疲労でキロ5もきつく、強い北風で身体が冷え切り寒さでリタイアでしたが、フラフラでした。

 

1月6日 30km  2時間08分34秒 416ave
1月7日 20km  1時間43分45秒 509ave

 

7日のタイムはまったく普通で平凡ですが、疲労回復が極端に遅くなっており、このタイムが精一杯でした。まあ、わかっていたことです。 逆に頑張りすぎたタイムであり、終わった後は、フルマラソンを完走したような激しい脚疲労が残りました。

 

この7日の頑張りは結果的にまったく不要な努力でした。

右臀部の梨状筋に激しい炎症が起き、坐骨神経痛が発症してしまったのです。

7日以降、整骨院で電気治療やマッサージをマメに受けたのですが、それもいけなかった。梨状筋膜炎や坐骨神経痛は、かえって症状を悪化させるのです。

 

10日に走ってみたが、ジョッグはともかく、流すと飛び上がるほど痛い。

 

13日 新春マラソン30km   12kmリタイヤ  1時間24分31秒  656ave

 

別大の3週間前は無残な結果となり、これでは別大スタートは無理でしょう。

もともと、別大で2時間50分を切る目標を立てた上でのセット練習トライだったので、皮肉なことです。

単にサブスリーをやりたいという目標だったら、セット練習はしてません。

 

欲をかきすぎたかな、、でも過去3年、50分前後の価値の記録は出せているから、、 

 

まだ2週間ありますが、気持ち的には別大不参加率5割。

仕事が忙しく、実は別大に出なければ、それはそれでありがたいのですが、でも今のとこ、まだ完全には諦めず、参加を模索してみます。

 

つくばマラソン終了後、3週連続、多摩川30km走に参加しました。

絶不調に陥り、3週連続リタイヤのようになりました。
 
12月1日 土曜 
  27km  2.01.49  430ave(23.03  21.28   21.17  21.15  24.30  10.13)

つくばマラソンの翌週。慎重に437から入り416に以降しましたが、22.5kmの折り返しを過ぎてから、極端に苦しくなり、25kmから2kmジョッグして終了。
つくば後、ちょっと調子がおかしくなり、微熱がありましたが、この時点ではまったく心配なし。

しかし、なかなか微熱が引かない中、川崎国際EKIDENの準備に忙殺され、電話や打ち合わせの連続で喋っているうち、ノドがやられ痛い。セキが出てきました。

この週の火曜日に、駅伝のための距離計測しました。金曜日そのスプレーラインを何者かに消されたのに気がつきました。(多摩川パトロールと思われます)
 
12月8日 土曜  

 24km 1.43.34  418ave(21.26 21.17 21.17 21.17 18.15 )


川崎国際EKIDEN前日。今シーズン、416aveで30kmは完走しているので、この日は大丈夫だろうとタカをくくってました。
ただ、走りながら、どうしても翌日の川崎国際EKIDENのことが頭をよぎります。
ランにまったく集中できません。翌日のEKIDENの心配事を多々考えると、ランの疲労感がドーンと増すのです。

先週に続き、またもや22.5kmの折り返しを過ぎてから極端に大失速してジョッグに。なんとまあ、24kmで動けなくなり終了。走りながら風邪を悪化させたようです。

喘息のような嘔吐を繰り返すような、激しい咳をしながら、残り1kmをジョッグさえできず、フラフラ徒歩でゴールへ。
身体が冷え切り、悪寒がして実にヤバイ事態になりました。
高熱発症の恐怖。

病院に行きたかったが、行けない。
午後に、消された折り返し地点の再計測をしなくてはなりませんでした。
なにせ翌日が本番。ギリギリの勝負です。

折り返しは5箇所あり、全て100mのメジャーで尺取り虫のように計測したので、時間がかかります。

寒風のなか、終わった頃は暗くなりかけてました。
病院に行ってたら計測を終えることができませんでした。
火曜に測ったラインを、消した人物が恨めしい。

ちなみに、悪寒で倒れそうになるなか、かろうじて計測できたのは、コンビニで汗が出るほど極端に辛いカップ麺を食べて、身体を温めたからでしょう。

12月9日 日曜 川崎国際EKIDEN本番

風邪を引いている場合ではなく、一日会場をかけづり回って、なんとか駅伝大会は成立させることはできました。ランニングトレーニングはゼロ。

12月16日 日曜    30km 2.16.54     433ave

                       (21.17  21.25   21.31  21.19  22.46  28.33 )

 

駅伝終了後は、プレッシャーからの開放感と、とにかく風邪を治そうと、ずっと休養、ノーラン。

身体を休めさえすれば走力は蘇ると、甘い期待をしてました。

熱はひき、ノドの調子もだいぶ良くなってきたので、この日は416で30kmできるだろうと思ってましたが、またまたまたもや、22.5kmで集団から離され、大失速。

一応、30km走りましたが、ラスト5kmは28分かかり、実質は25kmで終了。

 

失速の度合いが極端だから、まだ体内の感覚異常は残っており、病み上がりの体調ですが、もはや走力は休養では回復しない。

もう風邪のせいとか言いわけできず、もはや練習不足を認めねばなりません。

 

別大で50分キリ目指すとはおこがましいが、まだわずかに望みはあるはず。

対策練り直して、再スタートです。

 

 

第一回川崎国際EKIDEN
 

総合・高校の部の優勝チーム 法政大学第二高等学校

 

2時間16分49秒

 

全員3年生だそうです。後輩チームに圧勝!

来年もぜひ他チームでご参加ください。法政大学チームなんていいですね。(笑)

 

これは、表彰式とは別に記念写真。

ユニフォーム姿で撮りたい!当然です。

 

公式カメラマンによる撮影ですが、他チームも表彰式以外でもドンドン受け付けます。

 

もっとも、高校生チームは同級生や父兄の応援多く、カマラマンには事欠きませんでした。

 

 

運営の資金調達のためには参加チームを増やさざるおえず、1チーム7名の全国高校駅伝基準の見直しを真剣に考えてましたが、この高校生たちや父兄の笑顔、レースでの素晴らしい躍動ランを見ていると、このままで頑張るかなという気もしてきました。

 

ドイツ大使館チーム  ゲルマン魂!

 

アメリカの高校生チーム「KIST HS BOYS」

 

改めて表彰式

高校の部 優勝

法政大学第二高等学校 2:16:49

 

高校の部 準優勝

法政大学第二高等学校A 2:20:26

 

高校の部 3位

法政大学第二高等学校B 2:21:28

 

高校の部は、法政大学第二高等学校が1〜3位を独占する、圧倒的強さでした。

 

高校の部 1〜7区間優勝

 

区間優勝も、法政大学第二高等学校メンバーで独占。

さすが過去3年に2度、都大路を走った強豪校です。

 

来年は、ぜひ都大路に復帰して欲しいです。

 

その場合、日程からして、来年の本EKIDENには不参加ですかね、、?

でも、本EKIDENがリベンジのキッカケになれば嬉しいです。

 

一般の部 優勝

亜細亜大学 2:17:32

 

来年は、箱根にぜひ復帰して欲しいです。

 

その場合、日程からして、来年の本EKIDENには不参加ですかね、、?

でも、本EKIDENがリベンジのキッカケになれば嬉しいです。

 

 

一般の部 準優勝

GAZELLE 2:18:05

 

さすが、エリート市民クラブ。チームワークが壮観です。

過去、ほとんど負けたことがないのではないでしょうか?

来年、ぜひリベンジを!

 

一般の部 3位

中央学院大学AC 2:26:53

 

一般の部 1〜7区間優勝

 

亜細亜大学が5名をしめました。さすが箱根常連校。

 

一般女子の部 優勝 

多摩川クラブ 雅 3:12:54 

 

世界の中野陽子さんがアンカーでした!

 

一般女子の部 準優勝 

多摩川丸組 紅 3:14:18 

 

一般女子の部 3位 

青竹荘 女子 3:17:07 

 

一般女子の部 1〜7区間優勝

 

壮年の部(40歳〜) 優勝 

多摩川クラブ 将  2:34:08

 

多摩川クラブは、前身のフルマラソン駅伝から数えて、これでこの部門、8連覇! 

 

私は過去4度、同クラブで優勝メンバーに入りましたが、表彰式も賞状も優勝カップもメダルもありませんでした。

うらやまし〜。(爆)

 

 

壮年の部(40歳〜) 準優勝 

多摩川クラブ 猛  2:45:48

 

昨年の最後のフルマラソン駅伝に続いて、トップ2独占の多摩川クラブは、今年も盤石でした。

 

壮年の部(40歳〜) 3位 

青竹荘 B  2:49:48

 

壮年の部 1〜7区間優勝

 

熟年の部(60歳〜) 優勝 

チーム森田  3:03:34

 

 

熟年の部(60歳〜) 優勝 

多摩川クラブ 穣  3:16:41

 

熟年の部 1〜7区間優勝

 

この熟年の部は残念なことにわずか2チームの参加でした。

 

ランナーの高齢化が進んでいるといっても、7名を揃えるのは厳しい。

本EKIDENの知名度がまだまだな事もありましょうが、 1チーム、4名とか5名にすれば

女子も熟年も飛躍的に増えるでしょう。

でもそうすると、全国高校駅伝の基準から外れ、高校生が参加しなくなる、、。

久々「矛盾」に突き当たりました。

 

参加数の少ないクラスは廃止してしまうことも考えられますが、この世代、これからますます意義が

高まると思うので、来年も存続させようかと思います。

 

国際の部 優勝 

ドイツ・German Embassy  3:44:36

 

熱きゲルマン魂で寒さに打ち勝ってくれました。

 

国際の部 準優勝 

ドイツ・ドイツ大使館2  3:50:22

 

国際EKIDENなのだから、もっとインターナショナルにして欲しいとご指摘されました。

まったくその通りです。

西欧諸国に関しては12月の週末はアドベントの時期で、他の娯楽で出かけてしまうそうなので、メンバー集めが困難だそうです。大会名に「国際」をつけた以上、「国際の部」廃止など今のとこありえず、存続させるために対策を新たに考えなければなりません。

 

エンターテイメント賞

チーム名

ゆかりde反省会「おかわり !」

 

もともと仮装の部にあたるクラスは設けてませんでしたが、直前に急遽1チーム表彰することとしました。

他にも底抜けに楽しい仮装をしたチームは多く、そちらにも賞を出せなかったのは心苦しい限りです。

 

ゆかりde反省会「おかわり !」への表彰理由は、スタジオジブリの世界で見事に統一して見せた点、

そして私個人がもっとも感動したのは、とにかく走りにくい仮面の方が2名含まれている点でした。

 

来年は表彰基準をもっと明確化し、表彰チームも増やしたく思います。

 

表彰式後は、吉田未歩さんのコンサート。

 

吉田さんとプロドラマーランナーの村田義隆さんのトークショー。

テーマは「ランニングと音楽」。

 

残念だったのは、表彰が多くて時間がかかり、寒い中待てなくてお帰りになった方が多く、

十分な観衆前で歌っていただけなかったことです。

 

また、進行もスムーズにいかなかったこと、多々です。

それは想定外のハプニングが起きたり、ボランティアさんなどのドタキャンが結構あり、人員不足となってあちこち穴が開いしまったことが主な原因です。

 

でも、今年経験したので、対策は考えられます。

 

表彰は、数を減らすことなく、3分の2の時間に納められるでしょう。

半分にもできますが、それでは感動を味あう余韻がなくなってしまいます。

 

人員不足は、もっと早期に広域に募集するという単純な対策しかありません。

 

終了後はmemekoさんサイン会。

(2人でなく5名以上はいましたよ!)

 

川崎国際EKIDENが終わったら、しばらくEKIDENのことは考えなくてよくなると思ってましたが、本文に記した通り、抜本的な課題が数多く、それらを早く決断しないと、しばらく安心できません。
 

課題ばかり書いて来ましたが、今のとこ、大きなクレームは来ず、一応成功部類のようです。

 

良かったー。

 

お読みになっている方で、参加者、応援者の方がいたら、改めてお礼を申し上げます。

 

次回、本ブログに川崎国際EKIDENネタを書くときは、来年の駅伝の要項が決まり、募集チラシができ上げってからということになると思います。


第1回川崎国際EKIDEN大会結果

https://www.mspo.jp/result/2018/1209_kawasaki-ekiden.pdf

 

12月9日(日)第1回川崎国際EKIDEN

 

過去、本ブログのタイトルに、レース名をつけた場合、すべてランナーとしての出走でしたが、今回初めて、プロデュース、運営の記録となりました。

 

準備すべき項目は膨大で、細かい小片で大きなパズルを組み上げて行くようなものです。

どの小片が抜けても全体が崩れ、再起の難しい大クレームにつながるようなものだから、とても気の抜けない準備期間でした。

 

運営の記録といっても、それら準備の記録を書いてはキリがなく、それこそ膨大な量になってしまいますので、あくまで当日の結果に関して記録してみます。

 

 

昨年までのフルマラソン駅伝では行われなかった表彰式を行うため、ステージを用意しました。

せっかくのステージなので、ミニコンサートとトークショーも仕掛けました。

 

水久保審判長挨拶 MCきくちりょうこさん 


       

私はプロデューサーとして挨拶しました。
(水久保さんが高いステージに登らなかったので「中段」挨拶)

 

年齢別世界記録7種目保持、世界マスターズ4冠王のおなじみ中野良子さんのご挨拶。
 

ステージが高いので、降りるときが危ないなと気をつけていたが、、やっぱり転んでしまいました。

 

memekoこと吉田未歩さんご挨拶。
サブスリー、サブナインのシンガーソングライターなので、シンガーソングランナー。

 

開会式が終わったら、すぐに選手コール。

10時 スタート!

 

高校 13チーム  一般 38チーム  一般女子 3チーム

壮年 12チーム  熟年   2チーム      国際         3チーム

 

合計72チーム 1チーム7名 ランナー数504名

 

上記のチーム数は「市民駅伝」としては決して多くない参加数です。

実際、昨年までのフルマラソン駅伝参加の130チームを目標としてました。

 

しかし、多分、以下の理由で半数近くになってしまいました。

 

 1    フルマラソン駅伝参加チームリストを「個人情報」を理由にいただけず、

         参加実績チームに一切連絡できなかった。

 2    1チーム5人から7人になり、参加しにくくなった。

 3    参加費を昨年より値上げしたのでイメージが悪くなった。

 4  「第1回」は運営が心配。

 5    この日は「特異日」と言われるほど、レースの多い日だった。

 

2に関しては、全国高校駅伝と同じ、42.195kmを7区間で割る構成なので致し方ないのですが、勝負や記録にこだわるクラブにはチャレンジしがいがあっても、ゆるいファンランクラブにはハードルが高くなるだけかもしれません。

 

3ですが、昨年まで一切やってなかった自動計測システムの採用、表彰式、賞品授与を行い、また参加賞の単価を昨年より10倍以上に。すなわち大幅なサービス増大のコストなのですが、募集のときは、それはうまく告知することができなかった。

 

そういうことで、「規模」に関しては、目標実現できませんでしたが「質」に関しては素晴らしい結果となりました。

 

これは「規模」を低める要因となった「全国高校駅伝基準」のおかげと思われます。

 

それはレース結果そのものなので、後から記します。

 

 

エース区間1区のトップは、「ポップライン萩原と神大仲間たち」の下里選手。
31分32秒。この記録の出にくいダートコースで、素晴らしい記録です。

 

チームは、ホンダの設楽選手のモノマネ芸人、ポップライン萩原さんの神奈川大学時代のお仲間。

調べてませんが、ほとんど元箱根ランナーかも。

 

1区2位   GAZELLE   新野選手

31分55秒。

 

GAZELLE は、茨城県のチームで、大学陸上部OBを中心とした関東の最強クラスの市民マラソンクラブです。

 

1区3位  法政大学第二高等学校A  小林選手

32分28秒。

 

法政大学第二高等学校は、2015年、2017年と全国高校駅伝の神奈川代表です。

2017年は全国13位でした。(今年は鎌倉学園に敗退)

 

4位以降、中央学院大学や亜細亜大学など、箱根駅伝常連大学が続きます。

 

また、法政大学第二高等学校は3チーム参加ですが、全チーム強く、常に上位5チーム以内で争う充実ぶりでした。

 

 

総合での上位争いは、法政大学第二高の3チームを中心に、GAZELLE、中央学院大学、亜細亜大学、東海大相模高校、

ポップライン萩原と神大仲間たち、などが、僅差で激しく展開され、名勝負の趣きでした。

 

 

が、当然ゆるチームも下位で楽しく走ってました。

 

 

 

 

 

結局、総合優勝は、法政大学第二高等学校。2時間16分49秒

もちろん高校の部、優勝。

 

アンカーの内田隼太選手の素晴らしい笑顔。

5km 15分27秒

 

内田選手は、2年生の昨年に5000m14分15秒を叩きだしており、

全国高校駅伝で1区10位。10km30分03秒

 

内田選手に、本草駅伝での優勝にこれほど喜んでいただき、光栄です。

 

 

総合2位 亜細亜大学。2時間17分32秒

一般の部、優勝。

 

高校生に負けた悔しさがにじむ、、?

 

総合3位  GAZELLE 2時間18分05秒

一般の部、2位。

 

最終区で亜細亜大学に逆転され、一般の部の優勝を逃した悔しさがにじむ、、?

 

その後、法政大学第二高等学校2チーム、東海大相模高校、中央学院大学、

「ポップライン萩原と神大仲間たち」などがフィニッシュしました。

 

高校生、大学生、トップ市民クラブがバトルする素晴らしいレースでした。

 

 

特別参加の設楽選手、、おっと間違い、ポップライン萩原選手。

 

フルマラソンの距離の草駅伝は多いですが、優勝チームが2時間20分を切るという駅伝はあまりありません。

河原駅伝や過去のフルマラソン駅伝では、1チーム〜2チームが、2時間30分切るのがやっとでした。

 

川崎国際EKIDENは、2時間20分切りを3チーム達成できました。

 

参加数500チームを誇り40年の歴史をもつ、名門「横浜駅伝」でも20分切りは毎年3チーム程度だから、はるか弱小規模の駅伝のわりには、結構な「質」を獲得できたようです。

 

多分、全国高校駅伝の同区間構成にチャレンジするために、強豪チームが集ってくれたのかと思います。

 

 

第1回川崎国際EKIDEN2に続く