ラッキーセブンディスタンス陸上競技大会は、今年の7月7日、開催できました。
その後半月「残務処理」が超絶に大変で、本大会をブログに記録する気力が失せていました。
ブログを尻切れトンボに終わらせたくないということもありますが、大会の「裏事情」を記載した方がいいかなと考えまして、半年ぶり以上で、こちらに投稿します。
大会結果、画像、動画は、下記HPに詳細に記録しました。
https://lucky-seven-distance.jimdofree.com/

FBに「グレイトスマイル画像集」として、50点のランナーの喜びの笑顔を
掲載しました。

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=2349071555172285&set=pcb.2349081985171242&type=3&theater
上記を見れば、大会は大成功したように見えます。
しかし、、
本大会は、7年連続で住みやすい街、日本一に選出された印西市で、7月7日、7並びばかりでに開催されました。
種目は、77.7m、777m、7770mのオールセブン。
東京方面から大吉方位であり、地元の神社に何度も成功祈願し、準備にあたって「777」に遭遇することがあまりに多かったので、大会は、大ラッキー、大幸運に恵まれ、大成功は間違いないと確信してました。
実際、レースは実行され、全ての種目に優勝者、入賞者が出て表彰され、多くの「世界記録」保持者が誕生し、多くのランナーに喜んではいただきました。
大会は、予告宣伝通りに成立したので「成功」といえなくもないのですが、私個人の内面の基準では、とても成功とはいえないものでした。
当日は、あいにくの雨。
今年の7月の梅雨は徹底的で、関東はほぼ毎日のように雨でした。
この日がたまたま悪天候だったわけではないですが、この日だけは晴れると信じてましたので、驚きました。
私は比較的、晴れ男です。
前泊し、会場に一番乗りし、準備万端で、審判員やボランティアの到着を待っていたとこ、スマホに電話がありました。
「京急線で人身事故、印西市への電車がストップ」!!!
、、、唖然。
印西や柏、船橋など、地元千葉県からのスタッフは問題ないですが、大部分がボランティア。
人数の半分以上をしめる東京、神奈川からの公認審判員が駅でストップしているのです。
審判団との打ち合わせ予定時間に、数名の地元審判しかいない。
電車が何時間も動かず、他の審判員が到着しなかったら、開催は不可能です。
こんなことは、事前に想定できませんでした。
それでも1時間くらいで、電車が動き出し、審判団が大幅に遅れてですが、会場入りできたので、一応「ラッキー」なんでしょうか?

それまで、数少ない人員で、備品を出して整理し、横断幕やノボリ掲揚など、バタバタと作業に追われ、ボランティアの方々への説明がまったく十分にできないまま、受付開始時間になりました。
選手は続々入場し、すでに何十名も列になってます。

まだ、受付担当予定の審判員はゼロだったので、私とボランティア2名で、急遽の対応をしました。
ナンバーカードやプログラム、参加賞などは、先にダンボールから取り出して、効率よく渡す予定だったのが、まったくできておらず、すごく手間がかかりました。列はどんどん長くなりました。
しかも、ナンバーカードの安全ピンが見当たらない!
これは、前日に確認していましたが、なぜか無い。混乱の中で、何かに混ざり合ってしまったようです。
これは、別に管理していた、腰ナンバー用カードに付いていた安全ピンを外して渡すことで、危機を脱しました。
しかし、この時点で、もう選手の方々には「対応が悪い」と映ったことでしょう。
受付途中で、審判員が続々到着し、受付を変わってもらいましたが、目の前の選手対応をしなくてはならないので、仕事の説明などできません。そして、受付に要している時間が大幅に伸びてます。
いつの間にやら、開会式予定時間が過ぎてました。
選手一同から、いつ開会式が始まるのか、視線を感じます。
それでもこんな場合、選手に事情を説明し、開会式をさらに遅らせて、審判員、ボランティアに十分な進行説明、担当説明をするべきでした。
実際、遅れて開会式を始めようとすると、副審判長から「審判員で集まろう」と言われました。
しかし、全体の進行をこれ以上遅くスライドさせると、この競技場と印西駅の間の最終バス時間が早く、そして本数が少なく、選手もスタッフも帰れなくなってしまうのです。
実は事前に、印西市営バスに、バスの増便をお願いしたのですが「市営のバスなんだから軽々しく増便はできない」と、理解し難い理由で、断られていました。
レース開催により、バス収容力が足りないから増便するのは、どんなレースでも常識なのに、それに応じない印西市営バスの存在は不運でした。応じてもらっていれば、進行の先延ばしは可能でした。
すでに、時間が大幅に遅れている。
苦渋の決断で、開会式を強行しました。

審判、ボランティアの仕事は、写真判定、コース計測、選手整理、スタート、周回、風速計測、給水、記録証発行、賞状発行、表彰など多岐に渡りますが、個別の担当に、私から直接レクチャーする時間が取れない。

しかし、全体を知る私ぬきではありますが、開会式の間、審判員のみで打ち合わせはしてました。
ボランティアへの指示はほとんどできませんでした。

本レースは、普通の記録会と違い、世界記録、日本記録、県記録、市内記録を、年齢別に細かく順位づけするので、独特のカード方式で、人間が判定するシステムにしていました。
フィニッシュ直後に、MCがすぐに世界記録のコールをできるように、戸外テントの中でカード整理判定をするようにしていたのですが、天候が悪化し、冷たい風雨が吹き荒れはじめ、テントのカードを全て吹き飛ばしてしまいました。
カードを拾い集め、内部の作業室に移動して、作業に入りましたが、ここでまず、記録証発行が大幅に遅れる、第一の原因になりました。

さらに、、
これは不運とは定義できないかもしれませんが、順位を自動的に算出するプログラムにバグがあり、間違った順位が印刷され、張り出されてしまったのです。
当然、大クレームがあり、調べて発覚しました。修正できなければ、アウトでした。
これも不幸中の幸いですが、プログラムしたメンバーがその場にいて、修正してことなきを得ました。
しかし、プログラム修正時間分、また記録発表が遅れました。
記録証、表彰状発行も遅れました。
またその発行用のPC2台のうち、プログラム修正に1台さき、そのまま順位判定専用PCにしてしまったため、さらに記録証発行時間が2倍になりました。

7月7日だというのに、冷たい風雨で、歯がガチガチするほどで、一部の選手たちはイライラしてました。
バスが少ないことはわかっていたので「これ以上待っていられない」と、早く帰りたがっていた人は多かったように思います。
いつもの年のように、暑ければ、そんなことはなかったと思います。
なかなか発行されない記録証、なかなか始まらない表彰式に、多くの選手がイラつき、プロデューサーの私に、呆れた口で抗議してくる人、不審の目で睨んでくる人もいました。
あまりに「早くしてくれ」のクレームが多く、現場ボランティアの判断で、手書きの記録証を発行し始めましたが、「手書き」に嘲笑する選手もいました。
これらの記録判定、記録証発行現場のトラブルの事情は、クレーム続出してから知ったことです。

私は、あくまで全体管理が仕事で、何も具体的な担当作業はいれてませんでした。

しかし、スタート選手整理や給水用意、選手インタビュー、表彰式対応、BGM管理、指示、ビール販売(寒くて売れなかったがに終われ、一日中ダッシュで走り回ってました。


いるべき場所に、審判がいない、やらない(全部ではないですが)、
いるべき場所に、ボランティアがいない、やらない(全部ではないですが)。
指示が徹底できてないのだから、やむおえない面がありましたが、やる事がわからなく、暇で、会議室で談笑する審判、ボランティアもいたようです。
7770mは、19周ちょっとするのですが、周回のベテラン4名に担当してもらいました。

しかし、「2周多く走らされた」とか、数名から私にクレームがありました。現場で審判員に抗議したとこ「絶対に間違ってない」とハネつけられたそうです。
今は皆、GPS時計をつけて走るから、距離違いがわかり、証拠とさえなります。なので、クレームは正しいのでしょう。
(GPSの数値は操作できるが、そんなことする動機はないですね)
しかし、審判員の立場になって考えると、ミスを認めてしまえば、どう責任を取っていいのか?
それは多分、審判長の判断することでしょうが、スポーツに誤審はつきものです。
ミスしても大会全体の成立を考え、「認めない」という判断もやむおえないのかもしれません。
もし、私がGPSの数値を証拠として、審判長に相談もせず、審判のミスを認め、勝手に謝罪したりすれば、以降、審判団は私に協力しなくなるでしょう。
なので、周回ミス発生と、そのスルーは、とても残念としか言いようがありません。
一部の選手の方に、不快な思いをさせてしまいました。胸が痛みます。

もともと、7770mは、陸上競技場を出て、公園に入り、公園から出て農道を走る、1周3.9kmのコースを2周する設定を考えてました。しかし、印西市役所からそのコースの許可が降りなかったのです。
そのコースだと、市役所内で3つ部門に縦割り管理されてます。
陸上競技場 印西市スポーツ振興課
公園内部ロード 印西市設備課
農道 印西市土木課 印西市警察署
陸上競技場と農道には、使用許可が降りました。
しかし、印西市設備課が、わずか100mの公園内部ロードの使用許可を降ろしてくれないため、3.9kmコースでの開催が実現できなかったのです。
理由は「貸した前例がないから」。
スポーツ振興課も、土木課も、印西市警察署も、貸す許可を出しているのに、、。
散々粘って、設備課から「市の後援大会なら考えてもいい」と言われましたが、それを判断するスポーツ振興課からは「初開催で、実績がないから後援は出せない」。
後援を出さなければ、公園ロードを使えないのはわかっているのに。
結局、スポーツ振興課と設備課で結託して、3.9kmコースを走らせないようにされたようなものです。
私には、人間の正常な判断だと思えませんでした。(笑)
バス増便を断られたように、印西市役所の一部の担当部署は、お役所仕事の最低判断の好事例になるようなものです。
ロードを実現できていれば、周回違いのクレームなどなかった。
印西市で開催したのが不運だったのか?
しかし、印西市でしか競技場を借りられなかったのだから、そうもいえない、、。

結局、大幅に時間は遅れましたが、全種目の表彰式は終えることができました。
最後の表彰式では、多くの選手がバスに間にあわせるべく帰ってしまってました。
胸が痛みます。
残っていたのは、大体が車で来た選手です。

記録証は、数十名分の発行が間にあわず、希望者には郵送、それ以外の方にはHPがダウンロードできる体制を整える約束をして、日程は終了しました。
残念だったのは、以上のような多くの不運が原因だとわかっているはず(わかってないか、、)の審判、ボランティアの一部が、競技の遅れにイラつき「まだ終わらないのか!」「もう帰っていいか!」と怒鳴ってきた人がいたことでした。
私の中では、あくまで選手に喜んでもらうこと、不快な思いをさせないこと、早く記録証を渡して帰ってもらうことが最優先で、審判、ボランティアにも早く帰ってもらおうなどど、気を回す余裕はまったくありませんでした。
審判、ボランティアは仲間だと思ってましたから。
結局、バス時間までに発行できなかった記録証は、担当審判が残業するとか、後日に仕事するとかはなく、その時点で全ての仕事の放棄宣言をされて、帰ってしまわれました。
残りは、主催者である私がやりなさいという事です。
残り100枚近くの記録証は、翌日以降、私がコツコツ作り上げて、HPにアップしました。
種目と名前と記録があればいいというものではなく、年代別に日本で何位なのか、県で何位なのか、市で何位なのか、一人一人数えなければなりません。大変な作業時間でした。
最終成績表、公式カメラマンに頼んだ動画、画像のアップもしなくてはなりません。
それで、半月くらいかかったわけです。
世界初の「ラッキーセブンディスタンス」の競技会は、「無事成立」とはいきませんでしたが、なんとか「成立」はしました。
何事にも「初」がつくものが生み出されるのには、生みの苦しみがあるということですかね。

易経に「陽極まって陰となす」とあります。
陽が究極に極まると、瞬間に陰に転じるということです。
まさにこの日は、事前に、あまりにラッキーな条件が揃いすぎた結果、「ラッキー極まってアンラッキー」になってしまった日でした。
でも大会を実現できて、多くの記録が残ったのは事実です。
やらなければ良かったとは、まったく思いません。
画像中の私は、笑顔でいることが多いですが、あまりにの不運続出に、呆れ果て「笑うしかない」という状況でした。
内面は、崩れそうな運営をなんとか立て直すのに「必死」でした。
スケジュールが全て遅れているのに、ヘラヘラしているように見える私に、ハラを立てた人は結構いたかもしれません。
来年は、融通がまったく聞かない印西市では、許可を得られても開催はしません。
選手に迷惑です。
もっと交通の便の良い競技場で開催したいとこですが、東京オリンピックがあるので、まず場所は取れないでしょう。
なので、もし第2回をやるとしたら、再来年の2021年になりますが、とりあえず未定としておきます。
これで、本ブログは終了。
やっと「ラッキーセブンディスタンス陸上競技大会」に関わる、全ての「仕事」を終了することができました。(笑)