昨日、遠出とおでの日帰り出張があった。
オニのように疲れ果てて帰宅し、


ご飯も風呂もイラネぇ、
ちょっと少し寝るわあ、

からの、起きたらいま3時。

腹だ。腹が減っている。腹以外のどこも減っていない。腹だけが減っている。とにかくシンプルに腹が減っている。


味噌ラーメン定食を食いたい。定食じゃなくて良い。味噌ラーメンだけでも、いや、味噌だけで良いから食べたい。

そんな気持ちで今、
インスタント味噌汁にお湯を入れて、すすりながらタイピングしている。

ズー、ズー、そしてカタカタと。


 みなさんは断食をしたことがあるだろうか

それも、ほぼ1週間近くロクに飯を食べないレベルの断食である。


ボクはある。
と、いってもよくいう「断食道場」的な場所で行われる修業ではなく、
若かりし25歳のころ、どキツイ食中毒に見舞われた。


カンピロバクター。


どうやらボクに住みついたのは、あまりにも顔つきが悪かったようで、腸内にドッシリと居座られてチクチクされた挙げ句、全身あちこちに痛みが生じ、しまいには高熱で意識が朦朧もうろうとするほどだった。

これはおかしい、
うぉぉぉ、だりぃぃ、イタいぃぃぃ、死ぬぅ、死ぬ、死ぬー
と身の危険を感じながらって行った病院では即刻、入院を命じられ、
初日からガンガンと抗菌剤を点下された。

が、一向に効く気配がない。

最初の2日間は、律儀に5分に1度のバイオリズムでモヨおしたくなる気配がやってきて、ボクはその都度、ベッドからヌクッと起き上がり、お腹を丸めながら便座に座って用を足す。


トイレとベッド。
行ったり来たり。


4人部屋で一人、永遠とそれを繰り返す若造。

「あぁ、あいつ頻尿ひんにょうか?若いのにすでに前立腺がやられてるのか?」


レールカーテン越しに
話した事もない3人の野郎同士で、突如としてオトコ特有に分かり合える確かな “同情心” が芽生えていた。

食事はドクターから一切を禁じられる。
とにかく身体の毒素を出し切り、リズムを整えろってことであろう。


不思議なもので下痢がしんどい、お腹が痛いというものは薬で緩和かんわされるというのもあるが、次第に慣れてくるものだ。


睡眠欲だって、性欲だって我慢できる。
何がヤバかったのかと言うと、シンプルに「空腹」がヤバかった。一週間も飯を食わないなんて経験は、完全に人生で初めてだったから。


みなさんは、飯を何も食わないと人間がどうなるか、ご存知だろうか?
おそらくご存知ないだろう。 

腹が、減るのだ。


腹が、これでもかと言うほど減る。意外なほど減る。「腹って、こんなに減るんだ」と驚く。頭がボーッとして、死ぬほどフラフラする。そしてついには嗅覚きゅうかくが敏感になる。


ほんとに。

と、いうのは、
一週間の入院生活のてに退院し、我が家の最寄りの駅に降り立った瞬間、ただよってくる立ち食いうどんの匂いに、もはや子どもが駄々をこねるかのように食べたくて、食べたくて我慢ができなくなったのだ。

我を忘れて飛んで行き、むさぼるように2
杯も一気に食べた。
物凄い勢いで。とんでもない鼻息で。


そのときの味は忘れられない。
もう絶品だった。
人生で食べたモノで確実にトップ3に入る美味だった。一週間も食を抜くと、味覚も嗅覚も触覚も神経系も、もうナニもかもがやられてしまうのだと実感した。


断食は体が軽くなるとか、胃腸を休ませられるとかデトックスにいいとか、そういうウワサがあるが、これを経験してみて、
正直、断食なんてのは体によくないな、って思うようになった。


いやどうだろう。
断食だけじゃない。

修業と呼ばれるものや、身体にムチをうってする挑戦は果たして体(健康)にいいのだろうか。滝行、護摩行、マラソン、トライアスロン、等々。

おそらくこれには明確な答えがない。
でも、きっとこういった苦行に挑む人の多くは、身体に良いから、なんてのは、どちらでも良いはずだ。

おそらくハードなゲームを乗り越えてナニモノにも変えがたい達成感を得たいのだ。

人間のような欲深い動物は大なり小なり「達成する」と「さらに上」をみてしまう。だから1つ1つクリアするたびに、また少し過酷な環境に身をおいて乗り越えてみたいという願望めいたものが生まれるのだ。

来週の記事でもふれることになるが、つまるところおそらく人にはきっと潜在的に‘’修行欲‘’があるのだろう。


修行といえば苦悩、苦悩といえば修行。
常にそれを追い求めているのだ。


 そう、今日は修業の話

あれはいつだっただろう。
木々の葉は、若葉から青葉へ、そして濃い緑色へと変化していた。


そうだ、初夏だ。

ボクはいつも出退勤時の社員送迎バス内で、好きなnoterさんのnote記事をハシゴ読みするが、とあるnoterさんの記事を読んでいる最中さなかに、身体に耐えがたい異変が起こった。


多くの社員がシーンと静まりかえったバス内で、なんと‘’笑いのビッグウェーブ‘’が押し寄せてきたのだ。


インターネットスラングで言うと
‘’コーヒー吹いた‘’
という、あの状態であろう。


アラフォーでそこそこ社歴の長いおじさんが、スマホを人差し指ですべらせながら、唐突に吹き出し笑いをする。

さすがに気持ち悪すぎるだろう。

ボクは、こみあげてくる‘’笑いのウェーブ‘’をどうにかこうにかおさえ込もうと、身体的刺激でごまかす方法をとっさにとった。


くちびるを噛んで、鼻をつまむ。
空気の出口をギュギュッとふさいだのだ。
これにより、ブハッっと脊髄反射的せきずいはんしゃてきに空気が流出するという最悪の事態にはおちいらなくなった。

これは有効性の高い方法である。 


こうすると‘’感情側‘’に主導権を握られることなく、あくまで自分のペースで、自分のタイミングで、試合を進めることができるからだ。


しかし、笑いのウェーブも負けてはいなかった。出口を失ったウェーブは三半規管さんはんきかんと首のあたり、そしてホッペタでみるみると膨張し、ついには歯で噛んだ唇をグググっと押しこんできたのだ。

ああぁぁ。
膨張の圧力に我慢できなくなり唇のチャックがゆるみ始めた。

と、思った次の瞬間、
‘’ブホッ!‘’
みたいな、気持ち悪い感じの音がでた。

まさに、最悪の事態だった。

それは、おならの音にも非常によく酷似こくじしており、焦ったボクは口を膨らませて少しずつ空気を抜いてブホッ音を鳴らす仕草を繰り返し、同じ音の再現を試みた。


今のは、こきじゃない、くちのブホッ音だから、と自身の保身のため無言で周囲に主張し続けるしかなかったのだ。


あれだけ笑いを抑制しようと様々なパターンを網羅的もうらてきに検討したのに、そこにノミネートすらされていない、信じ難いほどにおならに酷似した不愉快な音を発する形となってしまった。

そんな、なんとも罪深き記事を紹介しようか(ハードルあげまくった)。

 


アラサーOLのバク転の修業を記事の核にして

給湯室のガールズワイキャイが見事に模写もしゃされている。


おもろすぎるやろ。


そしてボクはこの記事で
修業における‘’座右の銘‘’となる格言に出会うことになった。

「バク転ができる人生かできない人生なら、できる人生の方が良い(キリッ)」

byアラサー田村さん


たしかにそうだ。
それは間違いない。


ボクも薄々気づいていたが、社会人をやってみて明確にバク転と人生が関係することを確信した。


例えば面接の場において。
「あなたの長所はなんですか」と聞いてくる面接官に対し、


‘’バク転です‘’


と答える。まさかの珍回答に
「いや、そういうあなたの特技を聞いているのではなくて…」
と鼻で笑って、次第に声を荒げる面接官。

そこで、ゆっくりと立ち上がり、悠然ゆうぜんと面接官に近付いて身軽にヒョイっとやってのけるのだ。


そして面接官の方を向き
「バク転ができる人生かできない人生なら、できる人生の方が良い。同様に、御社に内定できる人生かできない人生なら、できる人生がいい。長所はそういうポジティブ思考なところです。」


このインパクトと説得力。
そこには必ず笑顔と拍手が生まれる。怒っていた面接官も、社長も、人事部長も見るからに感動して笑みがこぼれる。


と………まぁ、いや、、、
ま、冗談はさておき、だ。

自身が小学生だったころのことを思い出してほしい。小学生でバク転できる子は一目置かれないだろうか。将来ダンスをやり始めたらソロパーツを与えられないだろうか。

そう、バク転ができるというだけで人生を変えることができるのだ。


 と、いうことで、、

 一年くらい前から長女次女の二人は、体操教室に通っている。しばまるさんの‘’笑撃的しょうげきてき‘’な記事を目にしたあと、教室から
‘’夏休みのアクロバット特別特訓‘’
の案内がきていたことを思い出した。


これだ、これ。
修業だ。
可愛い子には修業をさせよう。


基本動作がそこそこに上達していた子どもたちは、すでに一定の達成感を獲得しており、体操教室自体にマンネリ化してきていた。そういったタイミングが良かったというのもあったのだろう。


二つ返事で
‘’やりたーい‘’
と超ノリノリの回答が返ってきた。


我が子にとって、身体に良いから、ましてや健康に良いからなんてのはあろうはずがない。むしろリスクを伴う。


純粋に、少し過酷な環境に身をおいて乗り越えたい、できるようになりたい、という願望めいたものが旺盛おうせいなんだろう。‘’できない‘’と決めつけない子どもは、大人以上にその傾向がある。

まさに‘’修業欲‘’


こうなると勢いである。すぐに申込み、まさにその日からバク転特訓がスタートした。


2022年夏。


きびしいバク転修行を日々重ね、二人はともに成長していった。特訓講座が終了する夏の終わりには、二人ともにバク転ができるようになっていた。今では布団をひいてピョンピョン順番にやっている。 


次女はまだ園児。

いや、まじ、すげぇ。

そしてその過程をみたボクは興奮しながら思った。


「オレもこの修行がしてみたい!」

‘’修行欲‘’をそそられたボクは、
さっそくバク転の基本となるブリッジからしてみた。が、まあ、いちおう言っておくと、柔軟性の欠けたオッサンがこれをやると一回目のブリッジで骨と関節に異常な違和感を覚えるのでやめたほうがいい。


たった一回。
一回で肉体にガタがくる。
グキって音がなる。


ということで、修行欲をそそられることと実際に修行することは別物ではあるが、何歳になっても過酷なことにチャレンジしてみたいものなのだ。

来週、ボクの壮大な修業の前日。
一年に一度、限界を超えるチャレンジに挑む前日。マジメになる日。

来週は、そのことをツラツラと綴ります。