いよいよ‘’仙人一家‘’である。
春の風がそよそよと気持ちよく流れ始めた
4月以降の毎週土曜日。
車いっぱいに荷物を詰めこんでキャンプ場にくりだす我が家5人衆。
到着の先は、
見渡す限りに
自然、自然、自然
山、川、草原
生命の本質をダイレクトにぶつけてきているかのような、そんな景色である。
テレビをつけず、
ネットにも触れず、
世間との関わりを断ち、
夜更けまで焚火を囲んで、
ふむふむ。なるほどね〜。そうだよね〜。
そんな感じの家族の語らいをし
その後はテントでミノムシのごとく寝袋に入り込んで眠りにつく。
早朝、小鳥がさえずるコーラスをバックに朝露でひんやりした自然の中を子どもたちと散策して身を清める。
まさに原始的。
そんな週末がいよいよ日常と化してきた。
ハマるのには理由がある。
炭火で焼いた捕れたての魚介類の旨さはちょっと他にはない。
ビール片手に、夜風にふかれ、川の流れを眺めているだけで、日常ではできなかった魂の洗濯が簡単に行えてしまう。
ああ最高。いっっっちばんの贅沢感♡
キャンプは我が家に新しい世界観を生みだした。
数年前のボクは、
こんな日常があるなんてまったく想像ができなかった。子ども3人いる我が家にとって、キャンプなんて不便で面倒くさいものでしかない。
そう思っていた。
人間は、想像力の範囲内でしか動けない。
キャンプをリアルにイメージできない人は、
キャンプに行く意欲なんてわかない。だからそこから得られる快感なんて分かりっこない。
人は想像ができなければ、
“想像力の向こう側“にある世界へは行けないのだ。
GWに、大学研究室の‘’アラフォーOB&OG会‘’に参加してきた。
アラフォーともなると昔の面影は残しつつも、初々しさや、トゲトゲしさなどはどこかに置き去りにし、
表情や雰囲気、そして発する言葉、
それはもう、皆一様に相応の品格が漂っている。
それが同年代と時間を共にするときの心地よさであり、また安心感でもある。
会の序盤、
一人一人が立ち上がって、
自身の近況を披露する時間が設けられた。
‘’永遠の下っパ社員でキツいわぁ‘’、
‘’娘が反抗期で、俺、キモがられてます笑‘’、
‘’カカア天下で小遣い制にマイっちゃってさ‘’、
みな、ここでナニを言えばいいかを心得ている。それぞれの口から出る生活感満載のオモシロトークに、いちいち合いの手や、ツッコミが入り、
会は序盤から大盛り上がりをみせた。
そんな最中。
一際に異彩を放った女性がいた。学生当時、端正な顔立ちと底抜けの明るさで、多くのオトコのハートを鷲掴みにしていた“ようこちゃん“である。
彼女はなんと自身の恋愛を自虐的に話しだしたのだ。
‘’独り身でお局さんやってまーす笑‘’、
‘’人生やり直せるなら若い頃の恋愛!‘’
‘’主婦業したいから誰かもらってよ〜笑‘’
そりゃ、こんな場だからのサービス盛り盛りトークってのもあるだろう。
でも、それを加味してもあの頃からは全く想像がつかない、
まさかの
‘’非モテキャラ‘’の‘’自分売り‘’であった。
思えば当時、
ボクはようこちゃんから誘われるとよくホイホイと食事に行った。
下心がなかったかと言えば
そりゃ、あった笑
顔だけじゃない。
スタイル、関西弁(京都)、仕草、知性。
どれをとってみても、側にいるだけで尋常ではないほどソワソワして、男性ホルモンが熱く刺激されるほどに魅力たっぷりな女性であった。
けど、彼女には好きな人がいて、
ボクはその相談役に任命されていたにすぎなかった。
彼女は、
“カッコよくて尊敬できるけど、どうしても付き合ってくれない浮気症のオトコ”
に夢中で、いつも振り回されて神経をすり減らせているように見えたけど、それでもなぜかそこに居続けた。
ボクは相談されるたびに、それらしい雰囲気のマントを羽織った。
「わかりやすくて誠実なオトコのほうがいいよ。その理由は・・・」
と延々と説いた。説き続けた。
モテたい。スゴイと思われたい。スゴいと思われてモテたい。
その強い思いが、熱い言葉になった。
「わかった!これからはもっと誠実な人にする!ありがとう!」
彼女はその都度に、一応の”理解”と‘’感謝‘’を示してくれたが、しかし一週間後にはボクの熱いクッサイ言葉にナンも悪びれることなく、また律儀に浮気症の男の元に戻っていった。
いくら言葉を捻りだしても、
いくら例え話をしても
いくら熱い理屈を並べても
まったくもって彼女のココロに響くことはなかった。
でも、いまならそれも分かる。
恋愛感情なんてのは、脳で‘’考える‘’ものではなく、もっとエモーショナルな狭い世界の‘’思いこみ‘’であるからだ。
だから一度スキになったら固執するし、他人の助言なんて聞き入れられない。
ましてや、
「ほかの答えもあるんじゃないか」
と自らが検討するなんて、するわけがない。
禁じられた愛ほど燃え上がるのは‘’ロミオとジュリエット‘’の時代から変わりはしないのだ。ここで何とかがんばろう、
がんばれば解決できるんだ、って。
そう、やっぱり
人間は、想像力の範囲内でしか動けない。
実際は、恋愛ほど無数に選択肢があるものなんてない。
だから、相手に変わってもらおうなんて他力本願せずに、さっさと見切りをつけて素の自分を大切にしてくれる相手を探しちゃえばいいのだ。
青春時代の旬の時間は有限である。
でも、
想像ができなければ、“想像力の向こう側“には行けない。
他の人との恋愛を想像したり、
アラフォーになった自分を想像したり、
結婚後の自分を想像したり、
狭い世界の‘’思い込み‘’にハッキングされてしまった状態でいると、それがなかなかできなくなってくる。
それが恋愛の難しさたる所以なんだろうね。
「会社を辞めたら人生おしまい」と思いこむ人たち。そんなわけないじゃないか。
目に入ってくる情報にちょっと疲れている。
というか、疲れるようなところに、自分で近づいているのも間違いないのだが。
繰り返される有名芸能人の自殺報道。
さすがに今回はまいった。
今の世の中、
仕事や人間関係が原因で、
鬱になったり自殺したりする人は少なくない。
もし、これを読んでて、
自暴自棄になるほどに悩んでいる人がいれば、少し思いとどまってほしい。
逃げ出すという選択肢が見えなくなっていやしないだろうか?
狭い世界にいると、人は「外へ逃げるのは負け」というプライドが働くようで、出られない、出ちゃいけないという錯覚に襲われる。
でもそれはあくまで‘’錯覚‘’である。
よく言われるのが「サーカスの象」。
サーカスの象は足首にひもをくくられ、地面に刺した杭とつながれている。
象は力が強いので、杭ごと引っこ抜いて逃げ出すことができるはずであるのに、力の弱い子どもの頃から杭につながれて育った結果、‘’抵抗してもムダ‘’ということをインプットしてしまうため、
大人になっても‘’逃げる‘’という発想がなくなってしまっている、
というのだ。
おそらく人間にもこれがあてはまる。
人生にはたくさんの選択肢が存在する。
が、ずっと杭につながれていた象が逃げ出そうとしないように、人間も過度のストレスを受け続けると、次第に‘’逃げ出す‘’という選択肢が見えなくなってくる。
でも、そんなわけないじゃないか。
ただただ、今の自分は
想像力の範囲内でしか動けていない
だけである。
もちろん、この世のすべてを知り尽くすなんて不可能である。
だからボクたちは例外なく、
常に何かを知らずに、
何かを見落として、
何かの可能性を潰して生きている。
実際は
生きていくための仕事だって、
人間関係だって、恋愛だって
外の世界の方が圧倒的に選択肢は多いし、
何通りも、何十通りも、最適に生きる方法はある。
自暴自棄になるほど悩んでいるというのなら、これ以上に自分の能力を嘆くのではなく、疑うべきは自分の置かれた環境である。
平凡非モテだけど、
でもまぁ、それなりに幸せに生きているおじさんからの提言。
いつだって飛び出せる勇気を持ってほしい。
もしもね、
悲しい未来しか想像できないようであれば、
是非、ボクと一緒に飲みましょう。
ほんとに。
原始的な場所で。
大笑いして。
一緒にミノムシなりましょう。
ね!