こうして文章をタイピングしていると、リビングから泣き声が聞こえてくる。

あぁ、5歳児の次女だ。

いつもの姉妹マウント合戦が始まっているらしいことを本能的に感じとり、そして泣き方からこれは「巧妙なアピール」のやつだと読み取る。

次女は「純真無垢」で優しい子ではあるが、いかんせんすぐに泣く。

ギャアギャア、ワーワー。
たまにクワーと。
あまりの勢いと不協和音からガチョウのように思えてくる。なんなら「ガチョウ」だと断定してしまう可能性すらある。

本当にすぐに目を離すとなにかしらの理由で泣いている。

昔から感情の振れ幅が大きく、姉妹でゲームをやって負けそうになると泣く。

ちょっとした反論や意見のすれ違いで泣き、やりたいことができないと泣き、うまくいかないと泣く。

勿論子どもは泣くのが仕事でもあるし、自分の感情をコントロール出来ないのも当然なので、時間をかけて見守ってあげようと思ってはいるものの、ちょっと感受性が強すぎる。

周囲は、事情が分からない多くの場合において「泣いている子が被害者」だと思う。

だから親しかり、保育園のお友達しかり、先生しかり、
「次女ちゃんどうしたの?大丈夫?」
と聞くのだ。

そうなると次女はつねに
「傷ついた側」であり、
「謝られる側」になる。

するとどうだ。

「ほらわたし泣いてるでしょ? あっちが悪いよね?」
っていう感じで本人は悠然とした態度となり、ついには昔以上の泣き虫になってしまった。

「泣けば泣くほど自分に有利になっていく」という状況をいつしか悟ってしまったのだ。

自分が泣けば無条件で勝利という、必勝法を身につけた。

泣くということは、それだけで優位を示し、相手を圧倒し、交渉を優位に持っていく力がある。

涙を用いたハッタリの交渉。
ただそれだけで効果覿面、万事解決。優位を得るためのポジション取り。

今どきの言葉でいうと典型的なマウントである。

 世の中で一番面白い人は上司である法則

僕が参加してきた会社の飲み会では

「偉い人ほどギャグが百発百中でヒットする」

という摩訶不思議な現象が、狭い会場の至るところで勃発する。

もはや会社というのはオヤジギャグを言わない人間は偉くなれない場所なのではないかと思うほど、偉い人はオヤジギャグをぶっ放し、そしてクソつまらなくても若手はスルーせずにゲラゲラと笑う。

何が面白いかは誰もわからないが、若手にチヤホヤされ、ビールのラベルを上にしてお酒を注がれ、つまらない話にも目を輝かせてフムフムと相槌を入れてもらえるのだ。

つまるところ会社の飲み会の笑いのレベルは「面白さ」よりも「偉さ」に依存している部分がたいへん大きい。

結局、どんなに上っ面を整えた所で、企業には文化があり、その文化のしきたりに従って皆とうまくやるのがサラリーマンという生物であり、社畜の掟はエリートだろうが中小企業だろうが、世界各国で共通なのだ。

だから階層の下っ端は、上司のクソつまらないギャグにゲラゲラ笑って忠誠心を誓う。まるで「あなたのチルドレンですよ」、「出世頼みますね」と言わんばかりに。

しかしこのように「面倒な人(上司)とうまく付き合っていこう」とその人に合わせてしまうのは、長期的にみれば実は「悪手」だったりする。

「今は部長の機嫌が悪いから、その提案やめといた方がいいよ。」

「今日は機嫌いいから、あの件を話すなら今がいいかも」

というわけで、部下は上司の顔色を伺い、話しかけるタイミングを見計らうのだ。
機嫌の悪い時には極力話しかけないし、機嫌がよければ相談をするという具合に。

結果的に周りが
「面倒くさい人に合わせてうまくやろう」

と察した結果、
「周りが察して上司に合わせるから上司はそのままでいられる」
という上司にとって「最高の環境」を作り出してしまうのだ。

そんな上司からすれば、機嫌を表に出せば出すほどまわりが察して行動してくれるから、どんどん快適になるワケだ。

「挨拶を無視すれば自分が不機嫌なことが伝わり、みんなそっとしておいてくれる」

と学んだら、そりゃ当然、不機嫌なときに挨拶を無視するようになるよね、って話だ。

 「ハンコは、少し左斜めに傾けて押す」謎の文化

こんなことを書いていたら、一昔前にテレビで見た「ハンコの斜め押し」マナーを思い出した。

ハンコを押すときは、まっすぐ押す人がほとんだと思うが、銀行のような組織では未だに封建制度が根強く残っている。

上司に承認をもらう書類では、上司の印鑑の枠におじぎをするような角度で斜めに押印することで敬意を表するんだとかなんとか。


稟議書など上席者の承認を得なければならないものは、地位の高い人が押す欄が左にあることが多いため、左に向かってお辞儀するように押す。一番右に位置する担当者は土下座するほどに頭を下げている笑

まさしくあ然とするほどの旧態依然の組織のマナーである。まさに江戸時代を彷彿させる「藩」だ。

社員は侍。もはや将軍様の家来ということだろう。島流しで出世コースから外れたら身を切られるように辛い。だから中の人は政治に走り、上の人の機嫌を取るようになる。

この添付した画像。
微妙にムカつくのが林社長の印が少し右に傾いている。

家来どもがお辞儀したのを
「まぁまぁ、よかろう、顔を上げい」
とでも言いたげな。

いや、そうだ。
口に出さなくとも実際に思っているに違いない。なんの抵抗もなく自分だけあの角度で押印するなんてどんな自惚れがなせるワザだろうと普通の人は思う。

蚊帳の外の人からみて、この社長が人の話をまともに聞いてくれる人間性に思えるだろうか。こんな押印文化をやめさせない人だ。
おそらくチヤホヤしなけりゃいけない面倒くさい人である。

もともとはこの人も頭を下げる側の家来であったであろう。しかしいつしか役職があがるにつれて「度が過ぎた扱い」をする周囲によって、普通の人から増悪してしまって面倒くさい人になってしまったのだ。

 そろそろまとめよう

ほっといたら次女がいつの間にか泣き止んで長女とニコニコしながらボール遊びをしている。

今日は自分が泣いたところで無条件で勝利にならないことを学んだかな。

周囲の接し方一つで、ヒトはどんどん面倒な人になる。

「あなたがいくらそう機嫌悪くふるまったとしても、あなたの期待通りにはなりませんよ」
という環境にしてしまい、相手に振り回されない。それが、面倒な人への長期的な対処においてとても大切のように思う。

出世のかかった会社ではどうだろうか。

もはや二人に一人が転職する時代である。
社内の人脈や周囲の人とのコミュニケーションは今でも重要ではあるが、一生を左右する問題ではなくなった。

「一生一社で働くのが当たり前」と言われた時代に生きた人にとっては、面倒な人間関係から逃れる手段はほぼなかったが、今なら周りの目を気にせずにさっさと転職すればいい。

だから、嫌なことは嫌、おかしなことはおかしい、と言うためにも「いつでも転職できる」という選択肢を持てるヒトになれるよう常に準備しておくことが正しい自己防衛の手段になるように思う。

僕たちは自分が主役の人生を生きていかなければならないが、世の中が僕たちに主役を張るためのドラマを作ってくれているわけではない。

自分の人生を主役に生きるためにも、面倒くさい人とは距離をおいた生き方をしていきたい。

そのために必要な準備を常日頃から欠かしてはいけないのだ。