我が家にはルンバが3台ある。
7年前から毎朝9時〜10時までやるべきことを淡々とやってオウチに戻ってくれる本当に優秀なペットである。

掃除機の性能としては最高の代物とまでは言えないが毎日会社に行ってる間に全て完了してくれる本当に時短家電としてパフォーマンスが高い。

ルンバの価値はそれだけではない。
ルンバには新しい習慣を生み出す副産物がある。
ルンバに満遍なく掃除してもらうためにモノを床に置かないようになった。
我が家のように毎朝スケジューリングしていると、朝ごはんを食べながら、歯磨きをしながら隙間時間を使って前日に子ども達が散らかしたままのおもちゃを片付けたりダイニングの椅子を机に上げたり「片付けを毎日する」という新しい習慣がついたのだ。

 ブログにも副産物がある

ネットで何かを発信するにはその対象について理解していなければならず、生半可の知識で発信すると色んなところからツッコミが入る。

僕が12年前までやっていた様々な時事問題を取り上げて個人的見解を述べていくスタンスのブログは、中途半端な知識人の最たるもので、悪く言ってしまえば結局は何にも精通していないただのネットコメンテーターなのだ。

だから記事をアップロードするために常に様々な事象にアンテナ張って意識的に学び続ける努力が必要になってくる。これがブログをする副産物である。

幅広く情報収集する努力と、その分野についてネットを駆使しながら60点の知識を素早く理解する能力が求められる。 
当時の経験から言うと、たとえ幅広い話題を取り扱っても「何を捨てるか」「なにをリンク対応するか」を決断しさえすれば比較的早く事象に対する自身のそれなりの見解が語れるようになる。加藤浩次さんはたぶんその能力に長けているのだと思う。

 副産物に60点以上は不要

さてここまで準備して記事を仕上げたとしよう。 批判する人は必ず一定数いる。そのほとんどは「否定したからと言って自分の意見がなかったり、答えは教えてくれない人」である。従って何をどう反論したら良いのかも分からない。コメントだけが残り続ける。
事実は間違ってはならない。間違っていたらそれは60点ではなく0点であり指摘に感謝して即訂正しなければならない。僕が言ってるのは僕の主義主張に対する批判のことだ。

「これだけ外出制限や休業、テレワークを推進してもなお感染拡大を続けるコロナと、ほぼノーマークのインフルエンザを例にあげて死者数が変わらないから過度に心配するな、というコロナとインフルエンザを同じ土俵にした議論は間違っている。」

という僕の主張に対して
「いや、同じ土俵やし」や、新たな例を持ち出してきて「一年で餅を食べて死ぬ人数を知らないのか」や、もっと面倒臭いのが「インフルエンザはワクチンあってこれやし」といった批判のことである。
僕はこれにいちいち対応するなら、餅にはない感染の話やコロナ患者の隔離入院措置による助かる命が助からなくなる医療崩壊の現状、インフルエンザワクチンの効果の検証データ。これらを信頼できるソースを引っ張りだして調べなくてはいけなくなる。
批判側に批判内容の立証責任があるなんて言ってもそんな面倒なことは批判者はしない。

今の僕ならこのようなコメントは即削除する。 しかし当時の僕はそれがダサいと思っていた。だからこれらの批判コメントに対応するために、大元の情報に立ち返って勉強をやり直す必要がでてきた。これを面倒臭いとみるか、学問が深まるチャンスだとみるか。

チャンスと言うのが優等生の答えだろうが、年齢を重ねると圧倒的に面倒くさいし時間の無駄と思うようになった。ブログで発信した全ての内容において僕の人生において本質まで知っておかなきゃ使えない場面はないのだ。たかが持論を発信するために専門家と肩を並べるまでの知識なんていらないのだ。
全ての分野に精通する努力や、どんな指摘でも論破するだけのエビデンスを担保するのは時間は有限であるため不可能である。つまり「捨てる勇気」が必要である。60点の知識を持つことができるだけでも十分ブログをやって良かったと感じる副産物なのだ。

 子どもにどんな勉強をしてほしいか

若いうちに沢山のことにふれて可能性を広げておくべきと一般的には言われる。小学校で学ぶ勉強はその後につながる全ての学問の基盤となるのでそのとおりだと思う。

しかし全てを極めることは難しいので自分の強みと向き合う時期を早い段階で設定した方が良い。「これからの人生で何を極めたいのか」を自分で決めて、他の道を断った方が先の人生で得るものが大きいと思う。特にこれからの時代は。

僕たちは全てにおいて疑ってみるべき時代に来ている。学校教育を優秀に卒業すると世の中に貢献できる専門性を身に付けることが本当にできるのか。既に良い大学を出ていればその後の人生が楽になるという神話はもうない。公務員だってこれだけ税収が厳しくなる中で安定職業と言い続けられるかはわからない。
人生や年齢を重ねれば重ねるほど中途半端で手放せないことやこだわり、捨てられないものがどんどん多くなってくる。僕らは小さなプライドや自分の人生にとって必要のないものを多く抱え込んでしまっている。つまらないこだわりはサッサと捨ててしまって良いと思う。

僕の子どもには会社にぶらさがることしかできずに選択肢を狭める生き方をしてほしくない。トヨタですらメガバンクですら終身雇用は難しいと経営トップが発言している時代において中途半端な専門性しかない社員は真っ先に切られる。

人と同じではないことをする強さや、捨てることの勇気は自分の大切なものを顧みるとても大きなチャンスなのである。突出した武器を持っているだけで複数の会社で必要とされ、複数の会社と契約しながら働く機能的な働き方も可能となる。今からの時代を生きるために中途半端にどれもこれもに手を出すのではなく「捨てる勇気」のスキルを是非身につけてほしい。
 
と偉そうに書きましたが、僕みたいな中途半端はひたすら学び続けなければいけないのですが。




育児から教わったこと今からの時代に重要なスキルは「捨てる勇気」。時間は有限。捨てる勇気は自分の強みに向き合うことでもある。

 

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