今日9月4日は、100年前、栃木県佐野市出身の義人・田中正造のなくなった日。

福島原発事故に対する戦いのさなか、正造の生き様・思想はよみがえる。

明治時代、古河財閥が、日光・足尾で銅を掘りまくり、有害物質が出て山の木が枯れたり、
渡良瀬川が洪水を起こすたびに魚が死んだり農作物に大きな被害が出た。
住民も体を壊して苦しんだ。

これは日本初の「公害」、いや「大企業による環境破壊」だった。
明治国家は、財閥を支援し
銅」を外国に売りまくりぼろ儲けをしてして軍備を強化した。

正造は国会議員として、この問題を何度も追及したが、ラチがあかなかった。
ついに彼は議員をやめ、明治天皇に「直訴」したが無駄だった。

その後、国は対策として下流の谷中村に「遊水地」を造ることにし、
反対する村民を追い出した。
正造は、村民とともに闘って71歳でなくなった。

いま、
東電・大企業・政治権力・巨大マスコミがグルになっている
「原発再稼動・輸出」推進に抗する
働く庶民の戦いと重なり、正造の魂は輝く!
メラメラ