(日刊ゲンダイ2011年6月22日掲載)
田中康夫氏の論説は面白い!
「保守思想の根幹に在るのは懐疑主義的な人間観。
「人間の能力に決定的な限界がある以上、人間が作り出す技術にも決定的な限界がある。
保守派の世界観では、『絶対に安全な原発』など成立しようがない。
どんなに技術革新が起ころうと、完璧な原発など生まれようがない」
と述べます。
「科学を信じて・技術を疑わず」から
「科学を用いて・技術を超える」認識を抱いてこそ“考える葦”たり得る。
と以前から僕も指摘してきました。
無謬性を信じて疑わぬ
前者の「信仰」こそ、計画経済的社会主義の悲劇。
可謬(かびゅう)性を認めた上での後者の「叡智」こそ、
弁証法的保守主義です。
それが如何に空前絶後な規模であろうとも航空事故や列車事故の悲劇は、
一定の場所と時間、社会グループに留まります。
原発事故は違います。
社会的にも地理的にも時間的にも、更には陸上・海上、空中・地中・海中を問わず、
際限なく被害が連続・拡大し続ける蓋然性が高いのです。
であればこそ、
慶應義塾大学で教鞭を執る明治天皇の玄孫に当たる畏友・竹田恒泰氏も、
「災害は通常復興する事が出来るが、
原発災害では核汚染地域を閉鎖する他なく、復興する事が出来ない」と
脱原発論者です。
「米国も中国も嘗(かつ)て原発なくして核兵器を開発した」事実すら踏まえず
「原発の推進は将来の日本の核武装の為に必要」と妄想し、
「ウラン鉱石の採掘を始め、核燃料の製造過程の多くを海外に依存し、
而(しか)も「全ての工程で石油を消費する」にも拘らず、
エネルギー安全保障上の観点から
原発は貴重と唱える「保守派」は
「共産党や社民党が唱えてきた主張に賛同するのが胸糞悪い」感情論のレヴェルなのです。
その上で
彼は電気事業連合会編纂「電気事業便覧」を基に、
日本の火力・水力発電の設備容量が約1.89億キロワットであるのに対し、
平成21年8月7日に記録した年間最大電力量が1.59億キロワット。
差し引き3000万キロワットもの「余剰」が確保されている事実を明かします。
原発30基分の発電量です。
計画経済の「左翼」が反対するから、
自由経済の「保守」が“無計画経済”の原発に賛成する。
いやはや、
何とも醜悪な「反『反原発』」の既得権益者集団です。
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