発達障害の啓発って難しいなと思う。

私たちも毎年4/2には
世界自閉症啓発デーに
啓発活動をやっている訳ですが…

NHKで発達障害の特集をされていて
実際1/22に開催した
ASDの知覚体験に取材に来られていた
ディレクターさんとも
お話をさせていただいていました。

常々、思うことがある。
「発達障害だから○○」
という啓発について。

実感としてはここ数年
「発達障害」という
言葉だけが1人歩きをしていた。
言葉は知ってる、
でも何に困っているのか
ということは知らない…

特に感覚について。
発達障害のある子どもたちと
接していて思うこと。

人間って自分の感覚が全てだと
思っているんだなーということ。
疑うことがないというか
相手と自分の感覚や考え方は
同じであるという大前提の中に
生きているんだなーということ。

そんな中で子どもたちが
過ごしていることが多いということ。
それによってしんどい毎日を送る
子どもとその相手がいるということ。

これは感覚だけの話ではなくて
みんな「普通」と言われる常識に
少しずつ合わせて生きているんだろうなアセアセ
その中で守ろうとする
「普通」や「常識」を
逸脱することが考えられない。
そんな感じだろうか。

だからこそ、普通と障害を
全くわけて考える。
障害があるからこうなんですよね?
発達障害があるから
そう思うんだよねーって。
発達障害を特別難しいこととして
とらえはじめるんですよねーもやもや

たとえば国民性ってあるよね。
この国の人はおおらかで
時間をあまりとらわれていない国の人だとか。
そういうお国柄
時間を守る人が少ないとか言いますよね。

また、この国の人は
個人を認める国民性なので
自己主張をするお国柄だとか。

そして日本人はまじめだとか…

なら日本人はみんなまじめなのか?
そういう話ではないですよね。
みんな個々の人間なので、
まじめな人とか、
どちらかと言えばまじめだとか
そうでない人とか
いろんな人がいます。

ここによく似ているのかと。
実際、発達障害の人が
必ず聴覚過敏なわけではない。
聴覚過敏はあるけど
発達障害じゃない人も
いるかも知れないよね??

本当にこの仕事を始めて
「普通って何?」と
考えるようになった。
今でもそう思う。

でも言葉だけの一人歩きから
こういうことがあるという
紹介になったことは事実。

こういう事実があるということと
「普通と発達障害の対比ではなく」
ということとを融合させて
啓発する必要があるのでは?

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