こそだて中の視覚障碍者、きの子です。
私が小学生時代に経験した習い事は主に英会話とピアのです。
英会話の方はその名の通り会話中心で、テキストをたくさん読むとか書くとか、ホワイトボードを使うとかがなかったので、大した支障はなかったです。
ただ、先生の目線や表情がわからないので、「次はあなたの番だよ」みたいなジェスチャーをキャッチしにくく。
毎回ちょっと緊張して授業を受けていました。
いちいち名前を呼んで指示してもらうなど、配慮してもらえばもっとよかったかな、とは思います。
ピアノの方は、いま思い返すと残念なところがたくさんありました。
学期は嫌いではなかったはずなのに、最後は辞めたくて辞めたくて仕方なくなり。親に黙って教室をさぼったことも。
何がそんなに嫌だったかというと、楽譜を全部暗譜しないと練習にならなかったからなんですね。
なぜ暗譜が必要だったか?
当時の私の視力では演奏しながら譜面を読むことができなかったからです。
譜面を拡大コピーしてできるだけ見やすくはしていましたが、目の前に近づけて読むには十分な大きさでも、ピアノのふたの譜面置きに置いたらまったく読めない。
仕方がないので全部暗譜です。
当時引いていたのはポップスとかではなく、バイエルとかブルグミュラーとかに載っている聞いたことのない曲ばかり。
大した音楽センスもない小学生にとって、楽譜のみをたよりに聞いたことのない曲を暗譜して演奏するのは、かなりしんどい作業、というかはっきり言って苦行でした。
でも当時のピアノの先生たち(みんな音大を出たばかりの若い女性たちでした)は、耳で覚えるということを絶対にさせてくれなかったのです。
覚えるどころか、ちらりと演奏を聴くというのもご法度でした。
「人まねの演奏になるのがよくない」
という理由だったように思いますが。
今となってはようわからん理屈。
いわゆる耳コピだと楽譜をまともに読もうとしなくなるから、ってことですかね。
ところで有名なお話なのでご存じの方も多いかもしれませんが、かの盲目のピアニスト、辻井伸行さんは先生が引いた右手・左手それぞれの音源を聞いて曲を覚えていらっしゃったとか。
え?えーーー!?
いいんですか!?耳で覚えて!!
ほんとに?
じゃあ、なんやったんやあの暗譜地獄はー!
大昔のことを今更ぐちぐち言いたくはないですが、さすがにがっくりきましたね。
嫌いになりたくなかったよ、ピアの…。
したかったよ、エンジョイピアの…。
当時の私は間違いなく弱視でしたが、視力が0.05以上あったためか、いい意味でも悪い意味でも視覚障碍者扱いされていませんでした。
ただちょっと目が悪いだけで、特別な配慮が必要な子供だとは思われていなかったのです。
なので、暗譜に苦しみ、ピアのへの意欲を失っている子供を目の前にしても、先生も親も何もしようとしませんでした。
先生たちや親が特別怠慢だったとは思いません。ただ、その必要性を感じず手段を知らなかっただけです。
視覚障害児にピアノを教えるときのやり方を、誰も知らず、私がその視覚障害児だとも思っていなかった。
経験と情報とがいかに大切なものなのか、よくわかるエピソードだと思います。
ピアのについてはいつかリベンジしたい!という気持ちがいまだにくすぶっています。
全盲のおばさんにでも教えてくれるピアノの先生、どこかにいるかなあ。